2永平寺の概要
曹洞宗の大本山で吉祥山と号し、寺域33万㎡、渓谷の奥に山門、仏殿、法堂、大庫院、
僧堂、浴室、東司の七堂伽藍をはじめ、不老閣、傘松閣など大小70余の堂塔が、樹齢数百年の老杉の間に立ち、
その静寂な佇まいは、山門に掲げる後円融天皇の日本曹洞第一道場の勅額にふさわしい聖域です。
本尊は釈迦如来、開山は曹洞宗の開祖道元で、志比荘の地頭波多野義重の外護により、寛元元年(1243)大仏寺に移りました。
寛元4年(1246)大仏寺を永平寺に改名した道元は、日本曹洞宗の根本聖典ともいうべき「正法眼蔵」の撰述や寺中の清規を整え禅風の宣揚に努めました。
永仁5年(1297)火災にあいますが、宝慶寺(大野市)より入った義雲が復興に努め、応安5年(1372)北朝より
日本曹洞第一道場の勅額を受け、宗門第一の道場としての立場を確立しました。
天正2年(1574)本願寺越前門徒による一向一揆の焼き討ちで全山焼亡し、その後、山上から現在地へ寺地を移しました。
江戸中期、玄秀が伽藍の復興と道元清規の宣揚に努めましたので、同寺は禅の道場として大いに整いました。
現在、曹洞宗はわが国仏教宗派で最大の末寺数、約1万5,000を数えるといわれています。
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