○ 朝日村(大野郡和泉村朝日)
九頭竜川上流右岸、石徹白川との合流点下流に発達した集落です。
当村の熊野神社には、平安末期の作と伝えられる青葉の笛が伝えられています。
「この村の20町ばかり東の山に悪源太義衡の館跡があり、御所ヶ平といって義衡が落人となって此処に3年間隠れ住みました。
この時、義衡の身の回りを世話した当村の女との間に子ができ、その子が生まれる前に京へ帰ることになりました。
義衡は当地を去るにあたり、生まれた子が男子ならば京へ上せるようにと1尺3寸の脇差と横笛を残して去りました。しかし生まれた子は女子でした。
その後、2種の遺物は、鎮守の八幡宮に奉納されましたが、脇差は紛失し、笛は保管されてきました。
義衡の子孫は、その後、百姓となって清兵衛と名乗り、当地に住みました。」という伝承です。
江戸期、はじめ福井藩領でしたが、元禄5年(1692)から美濃郡上藩領になりました。村高7石余(田方5石余、畑方2石)、家数9、人数60、馬7とあります。
昭和34年(1959)9月の伊勢湾台風で耕地の三分の一が流失し、死者23人の被害を受けました。
昭和38年(1963)九頭竜川電源開発事業が始まり工事関係者が居住して、人口1,030人と一時的に増加しました。
昭和47年(1972)国鉄越美北線が当地まで開通し、駅名は長野に完成した九頭竜ダムの人造湖にちなみ九頭竜湖駅と名づけられました
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