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大日峠と新又越

兜山(越前甲・大日岳)大日峠付近


1 大日峠
(福井県勝山市・石川県小松市)

 勝山市の北部、石川県境の尾根に位置する兜山(越前甲・大日岳)の東の鞍部にあり、勝山市野向町横倉と小松市新保町とを結ぶ標高約930mの峠です。

         峠の位置はこちらです。

 峠名は「越前名蹟考」には「大日峠、大日堂跡泰澄護摩堂あり」とあります。

 また、かつて豊原寺(坂井郡丸岡町豊原)から加越国境の尾根筋を通る白山禅定道の道筋にあたりました。

 近世、加賀の大日川上流の山村は、越前側との経済的な結びつきが強く、東にあった新又越とともに相互に往来がありました。



2 新又越(福井県勝山市・石川県小松市)

 大日峠の東方に位置し、同じように勝山市野向町横倉と小松市新保町とを結んでいた標高約920mの峠です。

 福井市から勝山市を経由し小松市に至る国道416号が通っていますが、峠の前後約4kmは人がようやく通行できる程度の山道で、自動車は通行できません。

 江戸初期、越前・加賀両藩の白山杣取争論の結果、寛文8年(1668)白山麓18ヶ村は幕府直轄領となり、大日川上流の新保村ほか4村も含まれました。

 しかし、この5村は経済的に越前との結びつきが強く、峠越えは重要な交通路になっていました。

また、加賀からは出作り、横倉からは製炭にと峠下の村人達が利用しました。


横倉地内にある逃谷小屋の祠大日川の上流域風景


3 峠下集落


(1) 横倉
(勝山市横倉)

 大日岳(越前甲)の南麓、野津又川流域の山間に位置した集落で、野津又への浄土真宗(一向宗)の布教は、15世紀末、加賀を経て行われたといわれます。

 地内には名勝八反滝があり、村名は天正〜文禄(1573〜1595)年間頃の古文書に初見されます。

 慶長3年(1598)検地帳による検地面積は、田3町8反余、畑8反7畝余の計4町6反8畝5歩、村高68石とあり、名請人は8名でした。

 江戸期、横倉村として越前大野郡に属し、はじめ福井藩、寛永元年(1624)勝山藩、正保元年(1644)幕府領福井藩預り地、

 貞享3年(1686)幕府領直轄地、元禄5年(1692)美濃郡上藩領となりました。

 村高は「正保郷帳」で田方63石余、畑方4石余の計68石でした。当村は七山家の1村で枝村として新道をあげ、

 また「小橋アリ」と記されているのは、野津又川に架かる長さ5間の橋を指すと思われます。

 延宝3年(1675)の宗旨改帳によると家数52、人数243と増加していますが、これは近くに鉱山が発見されて、

 採掘に多量の木炭を必要としたため炭焼達が寄り集まったといわれます。

 また、当村は山間地で七山家に属し、夫人足役を免除されていました。田畑が少なく、

 焼畑や山越えして、加賀側の山で請山し炭焼きで生計を営む者も多く、加賀新保村との往来も盛んでした。

 明治初期の「足羽県地理誌」によると戸数82、人口453(男231女222)、馬牛30、田畑4町6反余、物産は生糸・炭・繭・桑とあり、明治22年(1889)野向村の大字となりました。

 ほとんどの人が農業と林業に従事していましたが、昭和29年(1954)から野向町を冠して勝山市の大字となりました。

 昭和38年(1963)の豪雪で、あわ雪崩に遭い、16人の死者が出るなど大被害を受けました。

 この豪雪被害が誘因となって離村する人が多くなり、昭和40年代に廃村となりました。


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(2) 新保
(小松市新保町)

 手取川の支流、大日川上流域の山間地に位置した集落です。白山山系の北西麓南端に位置し、

 江戸期は白山麓18ヶ村の一つでした。寛文18年(1678)から幕府領になりました。

 慶長3年(1598)検地では田1町9反余、畑1町1反余、元文元年(1736)の割付状には村高21石4斗余とあり、

 雑木御林(御鷹巣山)が20ヶ所あって年2回の巡見が行われたようです。

 天保12年(1841)の家数は56戸ですが、地元の童謡に「島の助五郎、尾添で弥四郎、五ヶで新保の太右衛門さま」

 と歌われた草分けの春木家は、18ヶ村中の富農であり、明治初年まで奉公人7人、焼畑の請作40軒ほどをもっていたといわれます。

 明治5年(1872)石川県能美郡に属し、明治11年(1878)の家数120、人口631で、明治22年(1889)新丸村の大字、昭和31年(1956)小松市新保町になりました。

 昭和38年(1963)1月の豪雪で孤立した16戸、60人がヘリコプターによる物資投下を受けました。その後、過疎化が進み昭和42年(1967)の家数9、人口24となりました。



4 峠の歴史

(1) 豊原寺白山禅定道


 大日峠の西方に大日岳(標高1319m)が位置しますが、この山には真言密教でいう

摩訶毘盧遮那仏
(まかびるしゃなぶつ)、またの名を大日如来という仏が祀られていました。

 この大日如来は、豊原寺(坂井郡丸岡町豊原)によって祀られたのですが、この仏は森羅万象の神仏、太陽にたとえられています。

 知恵の光明は、あらゆる煩悩の闇を除き、慈悲の光明は、すべてのものに救いの手をさしのべ、

この知恵と慈悲の二つの働きは、いつも休むときがないといわれます。

 この山に大日如来が祀られたのは、豊原寺が平泉寺末となることを嫌い、平泉寺からの

白山禅定道に対して、豊原寺から独自の白山禅定道を作って対抗したことによります。

 そのうえ、平泉寺や平泉寺道に祀られてない最上位仏の大日如来を安置して、威厳を示したと伝えられます。

 豊原寺修験者達は、この山を最高の行場として豊原寺から白山までに八宿を決め、人道を避けた山の稜線を利用し往来しました。

 これを豊原白山八宿禅定道といい、この禅定道を大日岳から三宿めの「新の宿」へ下りました。

 この「新の宿」というのが、大日峠から越前側に下った横倉地内の「元屋敷」付近だとといわれます。

 地名が物語っているように休憩茶屋か宿屋があったのではないかといわれ、大日峠には

大日堂や泰澄護摩堂があったことから考えて修験者や白山禅定者が利用した所と推測されます。

 この元屋敷と呼ばれる所は谷間ですが、かなりの広場があって今は杉林になっています。土地台帳に上から順に上元屋敷、元屋敷、下元屋敷とあります。

 この「新の宿」から四宿めの中野俣牛ヶ首谷へ向かうため、次に新又越えで一旦、加賀新保側へ下り、

再び上って木地山峠を越えて四宿めの中野俣牛ヶ首に至ったといわれます。

 しかし、禅定道が廃止されて400年以上たった今、資料も口伝もなく、その真偽のほどは分かりません。

 かりに新又越、木地山峠を往来したとすれば、この峠は非常に早くから開削されていたことになります。



(2) 木地師往来の峠道

 大日峠・新又峠の東方に「木地山峠」がありますが、この峠名は全国にいくつもあるようです。

 木地師は、原木を求めて移動する漂白性の強い人々で、彼等が仮泊する所を木地山と呼び、そこを往来する峠を木地山峠と呼びました。

 この木地師達は美濃から移動してきたのか、加賀から山越えしてきたのか、この辺りに定着したのかなど定かでありません。

 しかし、この峠下の中野俣には木地師の習俗が伝承されていることから木地師が活動した地域であったことは確かです。

 また、大日峠・新又峠下にある「元屋敷」という地名は、一説には木地師達が仮寓した所か

峠道の往来筋にあったので茶屋があった所だともいわれますが、確かなことは分かりません。



(3) 出作り往来の峠道

 峠下の加賀新保や横倉も加越国境に広く分布した出作りと呼ばれる山の斜面を利用した焼畑耕作地域内にありました。

 近世、加賀側からの出作りや越前側からの炭焼きなどが峠を盛んに往来したといわれ、加賀側の大日川上流の新保などの山村と越前側とは経済的な結びつきが強かったようです。

 こうして、新又越・大日峠も出作りなど村人達の往来が盛んでしたが、今では、いずれの峠も廃れて登山者が利用するだけとなりました。



(4) 加賀一向一揆衆が往来した峠道

 室町末期の永正年間(1504〜1520)加賀一向一揆衆は門徒農民の国を越前にもつくろうとして、しばしば越前国へ侵入しました。

 その別働隊が搦め手にあたる谷峠など加越国境にあった諸峠を越え、平泉寺を狙い、朝倉氏撃破の機会を窺っていました。

 天正2年(1574)加賀一向一揆衆に支援された和田の本覚寺や藤島の超勝寺は、越前門徒を引き連れて

 朝倉氏に代って越前守護となった桂田長俊を一乗谷に襲って自害させた富田長秀を府中城(武生市)に攻め滅ぼし、その余勢をかりて平泉寺を襲いました。

 このとき平泉寺は「北山七家衆」(七山家)の門徒達に焼打ちされたのですが、谷峠から潜入した加賀一向一揆衆は、

 五所が原(勝山市)から木根山、小原(勝山市)に出て七山家衆と合流し、平泉寺を背後から急襲したといわれます。

 こうして、加賀と越前の一向一揆衆は連合して平泉寺などを討ち破り、一時、越前国に門徒農民の国をつくりました。

 越前と加賀を結ぶ浄土真宗の教線が大日峠などを越えて、この谷筋に早くから浸透していたことは、

 蓮如が本願寺を継いだ長禄元年(1457)以前に、すでに和田本覚寺の下坊主になっていた

松任本誓寺が峠下にある新保集落(小松市新保町)に道場を開いていた事実からも明らかです。


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主な参考文献

角川日本地名大辞典18福井県     角川書店
角川日本地名大辞典17石川県     角川書店
越前・若狭峠のルーツ       上杉喜寿著
越前・若狭山々のルーツ      上杉喜寿著
加賀・越前と美濃街道  隼田嘉彦・松浦義則編著
蓮如と七人の息子         辻川達雄著




  

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