(2) 新保(小松市新保町)
手取川の支流、大日川上流域の山間地に位置した集落です。白山山系の北西麓南端に位置し、
江戸期は白山麓18ヶ村の一つでした。寛文18年(1678)から幕府領になりました。
慶長3年(1598)検地では田1町9反余、畑1町1反余、元文元年(1736)の割付状には村高21石4斗余とあり、
雑木御林(御鷹巣山)が20ヶ所あって年2回の巡見が行われたようです。
天保12年(1841)の家数は56戸ですが、地元の童謡に「島の助五郎、尾添で弥四郎、五ヶで新保の太右衛門さま」
と歌われた草分けの春木家は、18ヶ村中の富農であり、明治初年まで奉公人7人、焼畑の請作40軒ほどをもっていたといわれます。
明治5年(1872)石川県能美郡に属し、明治11年(1878)の家数120、人口631で、明治22年(1889)新丸村の大字、昭和31年(1956)小松市新保町になりました。
昭和38年(1963)1月の豪雪で孤立した16戸、60人がヘリコプターによる物資投下を受けました。その後、過疎化が進み昭和42年(1967)の家数9、人口24となりました。
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