1 木ノ芽峠(福井県南越前町・敦賀市)
木ノ芽断層が横切る鉢伏山地の鞍部にある南越前町二ツ屋と敦賀市新保の間を結ぶ標高628mの峠で、越前(福井県)を嶺南と嶺北に分ける分水嶺になっています。
峠名の由来は不明ですが、木目峠、木辺峠とも書き、木部山ともいわれました。
峠下の二ツ屋と新保には宿駅があり、西近江路(木ノ芽道・古代北陸道)が通っていました。
天長7年(830)上毛野陸奥公が開いた鹿蒜嶮道は木ノ芽峠であるといい、以後、北陸の関門として重要な峠道になりました。
天正6年(1578)柴田勝家が栃ノ木峠を改修後、北国街道が官道に昇格し、
この峠道は官道から除外されますが、敦賀を経由して京都へ向かう重要な道であることに変わりはありませんでした。
こうして近代まで往来の多かった木ノ芽峠道も、明治20年(1887)山嶺を避けた海岸沿いに敦賀街道(武生敦賀新道)が開通して、
敦賀・今庄間の木ノ芽道(西近江路)は管理対象外となり急激に衰退しました。
それだけに街道の古い面影を保ち続けている数少ない峠の一つで、峠の東側には
今も羽柴秀吉から拝領した釜をもつ茅葺き屋根の前川茶屋があり、西側には道元禅師の歌碑が立っています。
前川茶屋の裏手には木の芽城と西光寺丸の城跡があり、道元禅師の歌碑の裏手には鉢伏城と観音丸砦の城跡があります。
峠道は主要地方道(今庄敦賀線)になっていますが登山道しかなく、峠近くを通る
広域基幹林道(栃ノ木山中線)は自動車の通行ができ、これで峠近くまで行くことができます。
なお、JR北陸トンネルは峠のすぐ東下を通過していますし、また、国道476号の木ノ芽トンネルが
平成16年(2004)3月、峠下を開通し敦賀市新保・南越前町上板取間が結ばれ、交通が便利になりました。
2 峠下集落
(1) 二ツ屋(南越前町二ツ屋)
日野川の上流、鹿蒜川支流二ツ屋川流域に位置し、四囲を山に囲まれた集落でした。
二屋という地名の由来は、平安初期に2軒の橋爪家があったからといわれます。
中世、室町期は二屋という地名で存在し、越前国南仲条郡に属していました。慶長国絵図には二屋村114石余とあります。
江戸期は越前国南条郡に属し、福井藩領の二ツ屋村として西近江路(木ノ芽道・古代北陸道)の宿場
として発達し、今庄宿から中間の宿駅である合の宿として馬12匹を常備しました。
慶長7年(1602)から宿場の西方に関所が置かれ、藩士2名と足軽番士2名が警備しました。
天明7年(1787)には宿場らしく家数も46戸、うち旅籠5軒、茶屋5軒があり、問屋前に制札場もありました。
とくに幕末には京都方面の旅人が多くなり宿場負担に苦しみました。
明治期、はじめ鹿蒜村に属しましたが、明治26年(1893)の大火で20数戸を焼失し、
また明治29年(1896)の北陸線開通などによって宿場交通はなくなり、山村生活に入り人口も減少しました。
昭和26年(1951)今庄村の大字となりましたが、奥地の不便さから隣りの新道近くに集落が移転しました。
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