1 宅良坂(南条郡南今庄町・今立郡池田町)
南条郡南今庄町芋ヶ平と今立郡池田町木谷の間の2.5kmの坂道で、峠は標高約545mありました。坂の名は宅良谷へ越えることから付いたのでしょうか。
田倉川上流の芋ヶ平川の谷から、足羽川の上流にある支流割谷川の谷へと越えます。
分水嶺は峠付近で標高約545mあり、芋ヶ平側は傾斜の急な谷道、木谷側は細長い尾根上の傾斜の緩やかな道でした。
南越前町瀬戸と池田町土合皿尾を結ぶ道でしたが、芋ヶ平も木谷も、すでに廃村となった現在、通る人もなく廃道になってしまいました。
宅良坂は、昔、木地師達が芋ヶ平から入植して割谷村を開いた時に開削された峠だとか、
府中から宅良谷を経て、この坂を越えて池田の河内から冠越を上り、美濃の徳山から鎌倉に向かった鎌倉街道だったと見る人もいて開削されたのは古いようです。
また鞍谷から魚見坂を越えた冠越のコースが鎌倉街道だとする人もいるようですが、いずれにしても両者は峠下の割谷追分で合流しました。
2 峠下集落
(1) 芋ヶ平(南越前町芋ヶ平)
今は廃村となった芋ヶ平の集落は、15世紀末の人々が山の峰を伝い、
峠を越えて木地材を追って移動し、峰から峰へと渡り歩いた木地師が移住し、定着した所だといわれます。
「ろくろ」という特殊な工具を使って椀や盆など円形の木地を作ったり、また、杓子をこしらえる人のことを木地師とか轆轤師といいました。
芋ヶ平は奥地にありますが、比較的平地に恵まれた定住の場所であり、芋類を多く作って常食としたところから、芋ヶ平という地名が生れたといわれます。
また、芋ヶ平は瀬戸の枝村でしたが、明治28年〜29年(1895〜1896)の大洪水のため山林の大部分を県が保安林に指定したため、
生活維持のため明治35年(1902)頃、28戸中13戸が春江町近辺へ移住しました。昭和55年(1980)には無住地となり、廃村となりました。
(2) 木谷(池田町木谷)
足羽川の支流、割谷川の最上流域に位置した集落でした。昔、人が住んでいないはずの割谷川上流から椀の破片が流れてきました。
これに驚いた下流域、土合村の人達が、進入者に奥地を切り開かれてしまうのを恐れ、
村の次男、三男を説き伏せて割谷村の上流に開村したのが当地の起こりと伝えられます。
そのため木谷村と割谷村は、かつては仲が悪く隣接しながら通婚もしなかったといいます。
慶長3年(1598)の太閤検地帳には「土合木谷村」として村高61石余(うち11石余が木谷村)とあります。
江戸期に越前国今立郡の土合木谷村から分村し、鯖江藩領として村高15石余とあり、
享保6年(1721)の池田郷中村々明細帳によれば家数12、人数73、牛2とあります。
耕地が2町足らずでしたので炭焼きを主とし、漆掻、養蚕、とりもち作りなどの副業に精を出しました。
しかし、明治以後、徐々に過疎化が進み、昭和39年(1964)から無住地となりました。
3 宅良坂の歴史
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