このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
一茶の句碑
日本寺
阿羅漢の鉢の中より雲雀かな
鋸山の
日本寺
に小林一茶の句碑があるというので、行ってみた。
日本寺仮本堂の前に長谷川馬光の句碑があった。
引きおろす鋸山の霞かな
長谷川馬光
は葛飾派
山口素堂
の弟子で、二六庵竹阿の師である。有名な小林一茶は孫弟子にあたる。
この碑の除幕式は、寛政2年(1790年)4月1日に行われたが、一茶は、師の竹阿が3月13日大坂高津に歿したので、二六庵をついで故師の代参として列席した。一茶28才の春で、房州に足を入れた始めでもあった。
寛政2年(1790年)4月、葛飾派其日庵二世長谷川馬光の五十回忌追福のため建立さた。
鹿毛、児石らの手によって建立された。
鹿毛は金谷村名主小綿孫平次、
児石
は元名村名主岩崎善右衛門。
其日庵三世
溝口素丸
の筆だそうだ。
寛政2年(1790年)、記念集
『霞の碑』
刊行。其日庵
野逸
序。
一茶の句碑は西口管理所にあった。
阿羅漢の鉢の中より雲雀かな
出典は『七番日記』。
文政元年(1818年)、一茶56歳の句である。
「日本寺」と前書きのある句の最初のもの。
日本寺境内に千五百羅漢がある。
一茶の句碑
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