このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

一茶ゆかりの地


竜腹寺の梵鐘

千葉県印旛郡本埜村大字竜腹寺に延命地蔵尊がある。


延命地蔵尊


延命地蔵尊の脇に鐘楼があった。


千葉県指定有形文化財梵鐘一口

龍腹寺

 総高106.3センチメートル、口径60.6センチメートル、池の間の上下に型継のあとがあり、3段階で鋳上げられていることがわかります。上帯下帯共に素文(文様のないこと)で、鋳出しの浅い八葉の蓮弁の撞座が片方にだけついています。この撞座が1個だけというのは非常に珍しいものです。乳は4段4列で欠けている所はありません。

 本鐘は、紀年がありませんが、その形態から南北朝時代の製作と推定されています。

 池の間に次の銘文が陰刻されています。

南閻浮提大日本関東下総
印西庄龍腹寺玄林山大鐘
書付之作者谷田部三郎兵衛
千葉住人
筆者當寺普門坊賢勝

千葉県教育委員会
本埜村教育委員会

 文化3年(1806年)正月25日、小林一茶は 古田月船 と同行三人で滝村の竜水寺、竜腹寺村の竜腹寺の梵鐘を見に行く。

 竜水寺の梵鐘に建武5年(1338年)の銘文が刻まれているが、一茶はいぶかしく思った。竜腹寺では鐘銘を記録している。

竜腹寺は大同2年(807年)創建。

廿五日晴 月船と 同行三人滝村
(龍)水寺鐘銘ニ建武五年トアリいぶかし
竜腹寺村竜腹寺鐘銘
南エンブ提大日本関東上総印西庄トアリ

『文化句帖』(文化3年正月)

 「南閻浮提(なんえんぶだい)」は、「閻浮提(なんえんぶだい)」に同じ。四洲(ししゅう)の一。須弥山の南方の海上にあるという島の名。島の中央には閻浮樹(えんぶじゅ)の森林があり、諸仏が出現する島とされた。もとはインドをさしたが、その他の国をもいい、また人間世界・現世をさすようになった。閻浮洲。南閻浮提。南閻浮洲。南瞻部(せんぶ)洲。瞻部洲。瞻部。閻浮。

「上総」は「下総」の誤りだろうか。

 文化8年(1813年)4月1日、一茶は再び月船と滝村の竜水寺鐘銘を見に行く。

   一 晴 船同道シテ滝村竜水寺鐘銘

『七番日記』(文化8年4月)

 文政8年(1825年)6月29日、 渡辺崋山 は江戸を発し、両総常武の地に遊ぶ途中で竜腹寺村へ。

 竜腹寺村、竜腹寺天台千葉香華院、地蔵大同年号アリ、是等祠、其頃ノ物。

『四州真景』

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