このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

一茶ゆかりの地


栢日庵立砂の居宅跡

 JR常磐線馬橋駅から国道6号(水戸街道)に向かうと、東京ベイ信金馬橋支店の前に栢日庵 立砂 の居宅跡がある。


栢日庵立砂の居宅跡


 馬橋の油屋平右衛門こと栢日庵(はくじつあん)立砂(りゅうさ)( 〜1799年)東葛地方の俳諧人として有名でした。親子ほど歳の差があった一茶から爺と慕われ彼のよき理解者であり、また庇護者でもありました。

説明はこれだけである。

 そこで松戸市役所社会教育課に問い合わせて「改訂新版松戸の歴史案内」の写しを送っていただいた。

 大川立砂の師匠は、後の今日庵 森田元夢 、当時は老我と称して布川にいたそうだ。

 立砂が松戸周辺の俳諧の頭領となるのは、栢日庵(はくじつあん)の庵号を得て立机記念に「はいかいまつの色」を出版した天明2年(1782年)頃から。

時ありて人の目につく紅葉かな
素丸
二三尺たつ秋見たりをみなへし
雪中庵蓼太

はいかいまつの色」

 安永6年(1777年)春、一茶は15歳で江戸に奉公に出る。

 天明2年(1782年)、一茶20歳の頃には馬橋(現・松戸市)の油商を営む俳人大川立砂の許に奉公しながら俳諧の道に入った。

 天明8年(1788年)、森田元夢の出した句集『俳諧五十三駅』に一茶の句が載る。

淋しさはどちら向ても菫かな

この頃、立砂は一茶を知ったようだ。

当時一茶は菊明を名乗っていた。

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