このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
与謝野晶子の歌碑
古町温泉「
せゝらぎの湯宿
満寿家」
東北自動車道の西那須野塩原ICから国道400号で箒川に沿って、塩原温泉郷へ。
塩原温泉郷の古町温泉「ホテルニューますや」に与謝野鉄幹・晶子の「おしどり歌碑」があるというので探したが、「ホテルニューますや」は見つからない。「
せゝらぎの湯宿
満寿家」になっていた。
宿の入口に
与謝野鉄幹・晶子
の「おしどり歌碑」が建っている。
今日遊ぶ高き渓間の路尽きず山のあらはる空のあらはる
寛
真夜中の塩原山の冷たさを仮にわが知る洞門の道
晶子
塩原満寿家への「おしどり旅行」は明治43年(1910年)10月、昭和9年(1934年)5月の2回。晶子は90余首の塩原諷詠を宿に残しているそうだ。
塩原での歌は雑誌「冬柏」(第5巻・第6号)に鉄幹41首、昌子59首が収められている。
眞夜中の鹽原山の冷たさを假りにわが知る洞門のみち
紅葉の清琴樓の殘れるは五月ざくらに似てあはれなり
古町はふもとのごとく山低し川霧のいろ哀れなれども
古町の湯場福渡のあひだにも李花を凌げり山路のさくら
「いぬあじさゐ」
大正2年(1913年)6月15日、東洋大学の創設者
井上円了
は塩原温泉を訪れ、福渡温泉「桝屋旅館」に泊まっている。
当日は大網を経て福渡に至り、桝屋旅館に投宿す。桝屋のつぎに丸屋、和泉屋、松屋あり。いずれも塩原中屈指の旅館にして、みな内湯あり。
「塩原紀行」
「桝屋旅館」のことを書いている。
桝屋一名満寿屋は箒川に望み、塩渓第一の奇勝と呼ばるる天狗岩に隣接し、樹色石影ともに軒に映じ、波高水声ともに窓に入り、風光すこぶる秀霊なり。
「
せゝらぎの湯宿
満寿家」は「湯めぐり手形」で入浴できる。
今度
入ってみよう。
「
せゝらぎの湯宿
満寿家」の対岸に「もみじの湯」がある。
平成13年(2001年)2月より湯量不足でしばらく閉鎖されていたそうだ。
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