このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
与謝野晶子ゆかりの地
与謝野鉄幹・晶子住居跡
JR総武線飯田橋駅から外濠公園沿いに行くと、逓信病院がある。
逓信病院に「与謝野鉄幹・晶子住居跡」の標注がある。
標注の脇に説明が書かれた高札があった。
与謝野鉄幹 晶子 住居跡
与謝野鉄幹(明治6年〜昭和10年)京都市生
詩人・歌人
東京新詩社
の創立、『明星』の刊行に尽力、新和歌運動に貢献した。
作品 「東西南北」「天地玄黄」「相聞
(あいきこえ)
」など
与謝野晶子(明治11年〜昭和17年)堺市生
鉄幹の妻、歌人 新詩社に加わり『明星』で活躍
作品 「みだれ髪」「春泥集」「舞姫」「新訳源氏物語」など
二人は明治34年に結婚し、大正4年から大正12年の関東大震災まで当地に居住した。また、二人は神田駿河台の
『文化学院』
の創立(大正10年)に貢献し、教鞭をとった。
明治37年『明星』に掲載された晶子の「君死にたもうことなかれ」は、戦地にいる弟(鋳三郎)の身を案じた詩としてあまりにも有名である。
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