このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

今年の旅日記

五城目街道〜芭蕉の句碑〜
indexにもどる

 五城目町富津内下山内下川原の五城目街道旧道に「 菅江真澄 の歩いた道」の標柱がある。

菅江真澄の歩いた道 冬の山越え


文化14年(1817年)冬 山内村

標柱の傍らに芭蕉の句碑があった。


名月に梺の雰や田のくもり

出典は 『続猿蓑』 (沾圃編)。

 元禄7年(1694年)8月15日、伊賀上野「無名庵」で月見の宴を催した時の句。

 無名庵は伊賀の門人達が上野赤坂の 芭蕉の生家 裏庭に築造したもの。

明治17年(1884年)4月、大石月斎建立。

月斎は下山内村の肝煎大石孫右衛門の俳号。

 天保5年(1834年)2月5日、大石月斎は浅見内村の松橋藤右衛門の四男として生まれる。21歳の時、大石家の養子となり、やがて孫右衛門を襲名する。

明治36年(1903年)12月2日、70歳で死去。

 大石月斎の句と黒土村の石井三友の句が刻まれていたそうだが、気付かなかった。

五城目街道を行くと、また「菅江真澄の歩いた道」の標柱があった。

菅江真澄の歩いた道 ひなの遊び


文化6年(1809年)夏 山内村

今年の旅日記 に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください