このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2009年

宝塔寺〜芭蕉の句碑〜
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秋田市八橋本町に宝塔寺という寺がある。


参道を右にはいると、石造りの五重塔があった。


花崗岩で、高さが9メートル。秋田市指定文化財(建造物)である。

 土崎港に来航した西国の商船が暴風雨によって難破しそうになったが、宝塔寺の守護神である七面大明神に祈願して、無事に入港することができ、難を免れたお礼として大阪から船で運ばれてきたと言われている。

宝塔寺仁王門


元禄13年(1700年)9月、建立。

日蓮宗 の寺である。

塚原山宝塔寺


本堂の左手に 芭蕉の句碑 があった。


四つ五器のそろはぬ花見こゝろ哉

出典は 『炭俵』

 元禄7年(1694年)3月2日、上野の東叡山寛永寺の花見で詠まれた句。「四つ五器」は托鉢僧が持参する食器で四つ一組の食器のこと。「五器」は御器が正しい。

 安永4年(1775年)10月、芭蕉八十回忌供養に 吉川五明 建立。五明45歳の時である。

『諸国翁墳記』 に「花見塚 出羽秋田宝塔寺アリ 五明連中建之」とある。

 寛政4年(1792年)、 一草 は宝塔寺を訪れ、五明が建立した芭蕉の句碑を見ている。

宝塔寺の蕉翁の碑四ツ五器の句を見て

旅の花に此五器一ツほしき哉   一草

『松のおぼろ』

享和3年(1803年)10月26日、五明は73歳で没。

芭蕉の句碑の左に五明の句碑があった。


日向あり陰ありて芭蕉静かなり

文化元年(1804年)、五明の一周忌に建立。

五明の句碑の左に吉川左鳥、田代紫江、寸流舎月条碑があった。

本堂左手の石段を登ると、七面堂があった。


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