このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
新年の旅日記
青い海公園
〜大町桂月の歌碑〜
青森市安方の海岸沿いに青い海公園がある。
青い海公園に「青森県歴史街道の図」の碑があった。
平成2年(1990年)5月、青森県歴史の道整備促進協議会建立。
この碑は、封建鎖国の時代にありながら、時代を超えて世界の動向に目覚め統一国家日本を念願し、北の果て青森県まで足を運んだ、
吉田松陰
の足跡を軸に、津軽南部の史跡文化等を図示したものである。
嘉永5年(1852年)3月6日、吉田松陰は平館から舟に便乗して青森へ。
薄暮、舟を発し、遥かに青森の神田岳を望み、右に
蟹田
・大浜の諸浦を視て、暁に青森に達す。舟航八里。人家未だ起きず、舟中も又寒烈にして居るべからざるを以て、海濱の船鋪に入りて眠る。雪霰繽紛たり。青森は一大灣港なり、宜しく軍艦數十隻を備へ以て非常に備ふべし。
七日 天氣昨の如し。夜明、青森の市中に入りて食し、野内に至る、關あり。栗坂・麻蒸・土屋・中野・山口・藤澤の諸村を經て小湊に出づ、亦關あり。
『東北遊日記』
神田岳は、八甲田山のこと。
大町桂月
の碑
大町の桂の井戸の水を清みさやかにやどる秋の夜の月
平成10年(1998年)11月7日、青森市制施行百周年を記念して建立。
青森にては、桂井旅館を定宿としたるが、大町といふ処にあり、その町名屋号は、余の姓名、雅号と下の一字が異なるだけ也、一配達夫余に宛てたる郵便をもち来たり、小首かたむけて、こんな人が本当にあるのかと問へりとて、宿の番頭笑えり。
(紀行文 陸奥の海岸線。四章 竜飛崎より抜粋)
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