このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2013年

龍飛岬歌謡碑〜「津軽海峡冬景色」〜

「北のはずれ」の龍飛岬 へ。


本州最北端は 大間崎 である。

津軽海峡冬景色歌謡碑


作詞 阿久悠 作曲・編曲 三木たかし

上野発の 夜行列車 おりた時から 青森駅は 雪の中
北へ帰る 人の群れは 誰も無口で 海鳴りだけを きいている
私もひとり 連絡船に乗り こごえそうな 鴎見つめ 泣いていました
ああ 津軽海峡 冬景色

ごらんあれが 竜飛岬 北のはずれと 見知らぬ人が 指をさす
息でくもる 窓のガラス ふいてみたけど はるかにかすみ 見えるだけ
さよならあなた 私は帰ります 風の音が 胸をゆする 泣けとばかりに
ああ 津軽海峡 冬景色

さよならあなた 私は帰ります 風の音が 胸をゆする 泣けとばかりに
ああ 津軽海峡 冬景色

      歌 石川さゆり

記念写真を撮る人が多くて、なかなか写真が撮れなかった。

碑 文

 国際海峡である津軽海峡から三厩村は限りない恵みを受けてきた。また、風の岬とも云われる竜飛岬は世界一の海底トンネルの始まりの地でもある。

 そして今、龍飛岬には新しい風力エネルギー・ウインドパークが誕生し、斯界に名を高めている。

 三厩村は、このように津軽海峡、龍飛岬と共に生きてきた小さくても、逞しい村である。 そして、間もなく到来する新しい世紀に向け、さらに大きく羽ばたこうとしている。

 この小さな村の大きな心意気を広く内外に示すため村人は、津軽海峡と龍飛岬にゆかりのある不朽の名曲「津軽海峡冬景色」歌謡碑を、この地に建立した。

 願わくは、龍飛観光ゾーンのモニュメントになると共に、ここを訪れる旅人の心と村人の心をつなぐ交流のかけ橋になることを祈るものである。

   平成8年7月10日

「津軽海峡冬景色」歌謡碑は 青森駅 にもある。

龍飛埼灯台


〜風の岬灯台〜

 龍飛埼灯台は、対岸の白神岬灯台と共に海上交通の要衝である津軽海峡の西側玄関口に位置する重要な灯台であり、昭和7年(1932年)7月1日点灯して以来、船舶の安全航行に大きく寄与しております。

 これからも数多くの船人の命と貴重な財産を守るために、毎夜美しい光を沖行く船に投げ掛け続けるよう祈念するものであります。

平成18年(2006年)4月1日から無人化されたそうだ。

断崖に咲く獅子独活。


明治40年(1907年)5月19日、河東碧梧桐は龍飛岬を訪れた。

 五月十九日。半晴。烈風。

 龍飛岬は蝦夷の白神岬と相対しておる津軽半島の最北端である。ゆうべから吹きやまぬシカタという西南の風は、ここを目あてに吹くのかとも疑われる。家におれば坐が揺れる、外に出れば足をすくわれる。朝から昼から晩とだんだんに吹き募る。


海上自衛隊竜飛警備所レーダー監視施設


当然のことながら、立入禁止。

北海道は見えなかった。

嘉永5年(1852)3月5日、吉田松陰は龍飛崎のことを書いている。

小泊・三厩の間、海面に斗出するものを龍飛崎と爲す、松前の白神鼻と相距ること三里のみ。而れども夷舶憧々として其の間を往來す。これを榻側に他人の酣睡を容(ゆる)すものに比ぶとも更に甚だしと爲す。苟も士氣ある者は誰れか之が爲に切齒せざらんや。獨り怪しむ、當路者漠然として省みざるを。


フウロソウが咲いていた。


階段国道339号を下って 太宰治文学碑 へ。

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