このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
〜
2013年
〜
大間崎
〜石川啄木の歌碑〜
本州最北端大間崎へ。
沖合600mの弁天島に大間埼灯台がある。
寛政5年(1792年)9月、
菅江真澄
は下北半島遊覧の日記『牧の朝露』に大間のことを記している。
享和元年(1801年)10月、
伊能忠敬
は下北半島に到着。終日の悪天候の中、大間町周辺の測量を行った。
文化7年(1810年)9月5日、
松窓乙二
は大間浜に到着。
函館
に行く船を待つ。
雲霧はれのく時は、手とゞくばかりにみゆれど、天とぶや雁を使にと願ひし人のごとく、せめてはこゝに我れありとつげんにも、せんすべなくて、
おもふにも波をしをりの月夜かな
『箱館紀行』
ちなみに本州最南端の灯台は
潮岬灯台
である。
石川啄木
の歌碑があった。
大海にむかひて一人
七八日
泣きなむとすと家を出でにき
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
大といふ字を百あまり
砂に書き
死ぬことをやめて帰り来れり
『一握の砂』
収録の歌である。
安国丸戦死者忠霊塔
昭和20年7月14日午后2時36分、米海軍艦載機と交戦し激斗のすえ乗員135名の勇士、艦と共にこの海に眠る。
「まぐろ一本釣の町 おおま」のモニュメントがあったが、記念写真を撮る人が多く写真は撮らなかった。
私の旅日記
〜
2013年
〜に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください