このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
潮岬灯台
〜白河天皇と花山法皇〜
串本町潮岬に潮岬灯台があるので、立ち寄ってみた。
灯台の入口に白河天皇と花山法皇の歌碑があった。
花山法皇御製
平安時代
ココニマス神ニ手向ノ幣帛
(ミテグラ)
ナレヤ潮ノ御崎ニ寄スル白波
潮御崎神社伝承
白河天皇御製
平安時代
アナウレシ難波ノ宮ノコト問ハン潮ノ御崎ノ御綱柏ニ
潮御崎神社伝承
潮岬灯台
本州最南端の灯台である。
ちなみに本州最北端は
大間埼灯台
。
潮岬灯台の概要
この灯台は、慶応2年(1866年)江戸幕府がイギリス、フランス、オランダ及びアメリカの4か国と締結した江戸条約で建設が決められた
観音埼
、剱埼 、
野島埼
、
神子元島
、樫野埼、潮岬、伊王島及び佐多岬各灯台の8灯台のうち一つでした。
当初のものは、英人技師ヘンリーブラントンが設計し、明治2年(1869年)4月着工され、1年余を要し、翌3年6月に完成、同月10日、仮点灯を開始した日本初の様式木造灯台でした。その後明治6年9月15日正式点灯して業務を開始しました。
明治11年4月15日現在の石造りに改築しました。
灯台から見下ろす。
あいにくの曇り空である。
昭和8年(1933年)4月9日、
高浜虚子
は潮岬灯台に至る
。
潮のみさき燈臺
燈臺を花の梢に見上げたり
四月九日、大阪より乘船。串本港に上陸。潮の御崎燈臺に至る。
『五百句時代』
「
灯台を花の梢に見上げたり
」の句碑があったようだが、気づかなかった。
昭和25年(1950年)4月10日、
高浜虚子
は潮岬に遊ぶ。
林なす潮の岬の崖椿
四月十日 八日立子と下阪。灘万泊り。十日年尾、立子等、
数人と紀州に向ふ。途中串本に降り、潮の岬に遊び、串本の
俳人と黒潮館にて句会。湯川温泉喜代門泊り。
『六百五十句』
昭和29年(1954年)4月16日、
水原秋桜子
は潮岬を訪れている。
十六日、潮岬にて
麦の穂の露や岬端潮ながる
灘凪ぎて麦の穂よりも平らなり
すさまじき巌根あらはに潮干岩
裾漕げる舟一片や潮干岩
『帰心』
昭和31年(1956年)、
山口誓子
は潮岬を訪れた。
潮 岬
低咲きの岬の薊大海原
『方位』
那智の滝
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