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虚子の句碑

高浜虚子の句

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『五百句時代』  ・  『五百五十句時代』  ・  『虚子一日一句』

『五百句』

夕立やぬれて戻りて欄に倚る

      明治二十八年 子規を神戸病院より、須磨保養院に送りて数日滞
      在。

桐一葉日あたりながら落ちにけり

僧遠く一葉しにけり甃(いしだたみ)

      明治三十九年八月二十七日 俳諧散心。第二十二回。小庵。

凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり

由公の墓に参るや伴連れて

此墓に系図はじまるや拝みけり

      明治四十一年八月二十三日 日盛会。第二十一回。

三世の仏皆座にあれば寒からず

霜降れば霜を楯とす法(のり)の城

死神を蹶る力無き蒲団かな

その日その日死ぬる此身と蒲団かな

      大正二年一月十九日 鎌倉虚子庵句会。病臥の儘。

春風や闘志いだきて丘に立つ

      大正二年二月十一日 三田俳句会。東京芝浦。

此秋風のもて来る雪を思ひけり

      大正二年十月五日 雨村、水巴と共に。信州柏原 俳諧寺
      縁に立ちて。

鎌倉を驚かしたる余寒よかんあり

      大正三年二月一日 虚子庵例会。

春雨やすこしもえたる手提灯

      大正三年三月 第三日曜。発行所例会。

我心或時軽し罌粟の花

      大正三年五月三日 虚子庵例会。

此松の下に佇めば露の我

      大正六年十月十五日 帰省中風早柳原西の下に遊ぶ。風早西
      の下は、余が一歳より八歳迄郷居せし地なり。家空しく大川
      の堤の大師堂のみ存す。其堂の傍に老松あり。

天の川のもとに天智天皇と虚子と

      大正六年十月十八日 筑前太宰府に至る。同夜都府楼址に佇
      む。懐古。

秋の灯に照らし出す仏皆観世音

      大正六年十月十八日  観世音寺 に詣づ。

白牡丹といふといへども紅ほのかと

雨風に任せて悼む牡丹かな

      大正十四年五月十七日 大阪にあり。毎日俳句大会。会衆八
      百。

新涼や仏にともし奉る

      昭和三年九月十六日 子規忌句会。大龍寺。十八日、石井露
      月逝く。

七盛の墓包み降る椎の露

      昭和三年十月 赤間宮参拝。

這入りたる虻にふくるる花擬宝珠

炎天の空美しや高野山

      昭和五年七月十三日 旭川、鍋平朝臣等と高野山に遊ぶ。

土佐日記懐にあり散る桜

      昭和六年四月二日 土佐国高知に著船。国分村に紀貫之の邸
      址を訪ふ。

飛騨の生れ名はとうといふほととぎす

      昭和六年六月二十四日  上高地温泉ホテル にあり。小婢の名
      を聞けばとうといふ。

火の山の裾に夏帽振る別れ

      昭和六年六月二十四日 下山。とう等焼岳の麓まで送り来る。

くはれもす八雲旧居の秋の蚊に

      昭和七年十月八日 出雲松江。八雲旧居を訪ふ。

秋風に急に寒しや分の茶屋

      昭和七年十月九日。松江を発ち大山に向ふ。大山登山。

神にませばまこと美はし那智の滝

鬢に手を花に御詠歌あげて居り

      昭和八年四月十日 南紀に遊ぶ。橙黄子東道。那智の滝。青
      岸渡寺。

船涼し己が煙に包まれて

      昭和八年八月十六日発、北海道行。あふひ、立子、友次郎、
       草田男 、夢香、 秋桜子 、本国同行。八月十七日、青函連絡船
      松前丸船中。

(さえずり)や絶えず二三羽こぼれとび

      昭和八年六月十三日 北海道旭川俳句大会兼題。

皆降りて北見富士見る旅の秋

      昭和八年八月二十一日 るべしべ駅、此夜、 阿寒湖 、山浦旅
      館泊。

バス来るや虹の立ちたる湖畔村

火の山の麓の湖に舟遊

      昭和八年八月二十二日 阿寒湖。此夜、弟子屈、青木旅館泊。

燈台は低く霧笛は峙(そばだ)てり

      昭和八年八月二十三日 釧路港。此夜、釧路港、近江屋泊。

道のべに阿波の遍路の墓あはれ

      昭和十年四月二十五日 風早西の下の句碑を見、鹿島に遊ぶ。
      松山、黙禅邸。松山ホトトギス会。

『五百五十句』

日本を去るにのぞみて梅十句

      二月二十一日、朝、 門司 著。萍子招宴、三宜楼。

昭和13年(1938年)

歴史悲し聞いては忘る老の秋

      十月二十一日  屋島 に遊ぶ。

昭和14年(1939年)

供華のため畦に芍藥つくるとか

      六月十日、昨夜、夜汽車にて上野を發す。朝六時八分三日市著。直
      ちに黒部鐡道にて 宇奈月 に行く。延對寺泊り。蓬矢知事東道。

岩の上の大夏木の根八方に

夏山やトロに命を托しつゝ

雪溪の下にたぎれる黒部川

      六月十一日、黒部峡探勝。

汝にやる十二単衣といふ草を

      六月十一日、黒部峡探勝。つき來りし宿の婢に。

夏山に家たゝまりて有馬かな

      七月二十三日  有馬温泉 、兵衛旅館。

淋しさの故に清水に名をもつけ

      十月十七日  幻住庵 句会。大津ホトトギス会主催。

風折々汀(みぎわ)のあやめ吹き撓め

      五月二十四日 鎌倉俳句会。材木座 光明寺

『六百句』

夏潮の今退く平家亡ぶ時も

      六月一日 満鮮旅行への途次、門司着。福岡の俳人達に擁さ
      れて上陸。 和布刈神社 に至る。門司甲宗八幡宮にて披講。
      「船見えて霧も瀬戸越す嵐かな 宗祇」の句を刻みたる碑あ
      り。

壱岐いきの島途切れて見ゆる夏の海

西日今沈み終りぬ大対馬おおつしま

壱岐低く対馬は高し夏の海

      六月一日  門司 より再び乗船、出帆。

昭和18年(1943年)

長谷寺に法鼓轟く彼岸かな

花の寺末寺一念三千寺

御胸に春の塵とや申すべき

      三月二十二日 阿波野青畝、藤岡玉骨其の他と共に長谷寺吟
      行。

凄かりし月の団蔵七代目

   九月十日 成田の額堂に七代目団十郎の石像があったが、久
   しく鼻が欠けたままになつてゐた(今は修覆されてゐるが)。
   七代目団蔵がこれを嘆き、六代目団蔵の像と共に別の銅像を
   建立した。今度襲名した八代目団蔵は、七代目団蔵追善供養
   の為め、其後撤去した銅像の残された台石の上に句碑を建て
   ることにした。

滝風は木々の落葉を近寄せず

廻廊を登るにつれて時雨冷え

木々紅葉せねばやまざる御法かな

今も尚承陽殿に紅葉見る

      十一月十六日 越前永平寺。

北国のしぐるる汽車の混み合ひて

温泉(ゆ)に入りて暫しあたたか紅葉冷え

不思議やな汝(な)れが踊れば吾が泣く

      十一月十八日  山中 、吉野屋に一泊。愛子の母われを慰めん
      と謡ひ踊り愛子も亦踊る。

無名庵に冬籠せし心はも

湖の寒さを知りぬ翁の忌

      十一月二十一日 大津 義仲寺 無名庵に於ける芭蕉忌法
      要。膳所小学校に於ける俳句大会。

ここに来てまみえし思ひ翁の忌

笠置路(かさぎじ)に俤描く桃青忌

焚火するわれも紅葉を一ト握り

掛稲の伊賀の盆地を一目の居

      十一月二十三日 伊賀上野、友忠旅館。 愛染院 に於ける芭蕉
      忌。菊山九園居。

昭和19年(1944年)

此頃はほぼ其頃の萩と月

      九月十日 九月四日、信州 小諸 に移住。「奥の細道」第二回
      演能の由申来りたる桜間金太郎に寄す。

冬山路俄にぬくき所あり

我さむき訪ひ集ひくる志

      十一月十二日 信州俳句大会。小諸、小山栄一宅。

聞き役の炬燵話の一人かな

      十一月二十五日 戸倉温泉。長野ホトトギス会。

昭和20年(1945年)

紅梅や旅人我になつかしく

      四月十四日 在小諸。懐古園に遊ぶ。

春雷や傘を借りたる野路の家

      四月二十七日 村上村上平、杜子美居の祭に招かる。

更級や姨捨山の月ぞこれ

今朝は早薪割る音や月の宿

      九月二十二日 姨捨行。

『六百五十句』

昭和21年(1946年)

夏山を軒に大仏殿とかや

      六月二十日 鎌倉俳句会。 長谷大仏 境内、大仏殿。

酒折の宮はかしこや稲の花

裸子をひつさげ歩く温泉(ゆ)の廊下

川向ふ西日の温泉(ゆ)宿五六軒

前通る人もぞろぞろ橋涼み

橋涼み温泉宿の客の皆出でゝ

      八月二十九日 小海線に搭乗、甲州下部温泉に到る。下部
      『ホトトギス』六百号記念俳句会。

秋晴や寒風山の瘤一つ

秋晴や陸羽境の山低し

      九月二十三日 秋田より能代へ行く。『ホトトギス』六百号
      記念能代俳句会。金勇倶楽部。竹田旅館泊。

秋風や独潭和尚健在なりし

      十月七日 関西稽古会、第一回。近江堅田 祥瑞寺 。途に走井
      月心寺に立寄る。

盲ひたりせめては秋の水音を

      十月九日 『ホトトギス』六百号記念金沢俳句会。盲悲無同
      行。鍔甚。記念会で詠まれた句。

寺なれば秋蚊合点厠借る

      十月十四日 京都、東山、ミューラー初子邸。立子等と共に。
       法然院 に遊ぶ。

一枚の紅葉且つ散る静かさよ

わが懐(おも)ひ落葉の音も乱すなよ

濃紅葉(こもみじ)に涙せき来る如何にせん

父恋ふる我を包みて露時雨

      十一月十八日 昨日『ホトトギス』六百号記念福岡俳句会に
      列席し、甘木、上野嘉太櫨居一泊。秋月に父曾遊の跡を訪ふ。
      年尾、立子と共に。

わが終り銀河の中に身を投げん

      十月二十日。高知句謡会。林並木訪問。 貫之邸址の句碑 を見、
      要法寺に於ける玉藻句會に列席。

もてなしは門辺に焚火炉に榾火

火鉢に手かざすのみにて静かに居

      十二月一日 『ホトトギス』六百号記念北関東俳句会。高崎、
      宇喜代。 成田山 泊。

風花の今日をかなしと思ひけり

風花に山家住居もはや三年

凍道(いてみち)を小きざみに突く老の杖

御馳走の熱き炬燵に焦げてをり

      十二月十九日。句一歩、占魚、健一、格太郎來。小諸山廬。

昭和22年(1947年)

連峰の高嶺々々に夏の雲

黒蝶の何の誇りも無く飛びぬ

      七月十二日 土曜会一周年。小諸故郷宅。折から来諸中の杞
      陽、柏翠、素顔、香葎、三拍子も出席。

案山子我に向ひ問答す

人々に更に紫苑に名残りあり

黄しめじを又つが茸を貰ひけり

秋晴の名残の小諸杖ついて

      十月五日。桃花會。小諸山廬。

湖もこの辺にして鳥渡る

湖の蘆荻(ろてき)漸く枯れんとす

      十一月六日 近江、堅田、中井余花朗邸宿泊。

昭和23年(1948年)

何事もたやすからずよ菜間引くも

      八月二十五日 長野句謡会。上林温泉、 塵表閣

竹切りて道に出し居る行手かな

      十一月二十三日  下部温泉 行。句碑除幕。蓼汀、真砂子、
      年尾と共に。湯元ホテル泊り。

柿を食ひながら来る人柿の村

      十一月二十四日 山梨明見町大明見、 柏木白雨 居泊り。句碑
      除幕。

昭和24年(1949年)

能登の畑打つ運命(さだめ)にや生れけん

      四月二十六日。能登、七尾に向ふ。 柏翠 、坤者同乘、七尾公園。七
      尾俳句会。和倉、加賀屋泊り。

家持の妻戀舟か春の海

能登言葉親しまれつゝ花の旅

      四月二十七日。 加賀屋 にて句謠会。 素十 、櫻坡子来り会す。
      午後輪島に行き鳳來館泊り。

潮じみて重ね著したり海女衣

      四月二十八日。能登ホトトギス俳句大会。輪島。

山吹の花の蕾や数珠貰ふ

老僧と一期一会や春惜しゝ

      五月一日 加賀松任在、北安田、 明達寺 に非無を訪ひ永久
      女を見舞ふ。

銀河中天老の血からをそれに得つ

銀河西へ人は東へ流れ星

虚子一人銀河と共に西へ行

西方の浄土は銀河落るところ

      昭和二十四年七月二十三日 夜十二時、蚊帳を出て雨戸を開け、銀河の空
      に対す。

笹啼が初音になりし頃のこと

      九月八日 昨年松山正宗寺に於ける『ホトトギス』六百号記
      念会席上に『ホトトギス』を創刊したる柳原極堂もありし。
      同寺に建つる句碑の句を徴されて。

わが終り銀河の中に身を投げん

      十月二十日。高知句謡会。林並木訪問。 貫之邸址の句碑 を見、
      要法寺に於ける玉藻句會に列席。

稲むしろあり飯の山あり昔今

      十月二十一日 丸亀城址延寿閣に遊ぶ。

昭和25年(1950年)

年を経て再び那智の滝に来し

千尺の神杉の上滝かゝる

滝見駕青岸渡寺の玄関に

      四月十一日  那智の滝 に遊ぶ。宿前に同じ。

霜の菊讃へて未だ剪(き)らずをり

      十二月二十四日 玉藻会。 光明寺

『七百五十句』

昭和26年(1951年)

温泉に入りて唯何となく日永かな

      六月二十二日  米和歌 にあり

秋の蚊や竹の御茶屋の跡はこゝ

ふるさとの此松伐るな竹伐るな

      九月二十一日 東野を通る。

昭和27年(1952年)

永き日のわれ等が為の観世音

      三月九日 大麻唯男、亡き娘栄子の為め長谷観音境内に観音
      像を建立し、その台石に彫む句を徴されて。

人の世の今日は高野の牡丹見る

      五月二十五日  金剛峯寺

若死の六十二とや春惜む

      五月二十六日  奥の院

吉野屋の愛子踊りし部屋ぞこれ

      九月二十八日 俳句大会。河鹿荘。

小國町南小國村芋水車

      十一月十日 小國を突破して阿蘇外輪山に至る

かけて見せ外しても見せ芋水車

      十一月十二日 昨夜も亦 耕春 居泊

り 草枯の礎石百官卿相を

      十一月十五日 福岡、田中紫紅邸に在る坊城一家訪問、
       府楼趾 に至る。

昭和28年(1953年)

君と共に再び須磨の涼にあらん

      四月二十二日  子規、虚子竝記の句碑 、須磨に立つ由

梅雨やむも降るも面白けふの事

      六月八日 大野万木句碑、 長谷観音 境内に建ちたるに招かれ
      て。

稲の道車を駆りて故人訪ふ

      十月七日 非無和尚を 明達寺 に見舞ふ。立子、柏翠夫妻と共
      に。

人の世の虹物語うすれつゝ

      十月八日 三国虹屋にて。 柏翠 新婚披露。永諦の寺にて句会。

湖中句碑蘆の嵐につゝまれて

      十月十日 昨夜堅田、余花朗居に泊る。真砂子も来り加はる。
       湖中句碑 を見る。

昭和29年(1954年)

春深く稿を起さん心あり

      四月十六日 句謡会。高木居。

せゝらぎの水音響く鮎の川

      五月十三日 長瀞行。この夜一泊。「月の石」の句碑除幕。

山寺に蠅叩なし作らばや

而して今ひと眠り明易き

山寺に我老僧かほとゝぎす

      七月十四日 千葉県鹿野山神野寺。土筆会第一回。

明易や花鳥諷詠南無阿弥陀

毒虫を必死になりて打擲

す 山寺に名残蠅叩に名残

すぐ来いといふ子規の夢明易き

蠅叩にはじまり蠅叩に終る

      七月十九日 稽古会第四回。下山。

旅にして秋風君の訃に接す

      八月十九日  非無和尚 逝去。

昭和30年(1955年)

更衣したる筑紫の旅の宿

      五月十四日 飛行機 板付著。福岡県二日市、玉泉閣。

蒲團あり來て泊れとの汀女母

      五月十六日 熊本、江津荘。 芭蕉林

山さけてくだけ飛び散り島若葉

      五月十七日、三角港より有明湾を渡る。島原泊り。

芒塚程遠からじ守るべし

   五月十九日、日見峠に 去来の芒塚 を見、井上米一郎に寄す。

風薫る甘木市人集ひ来て

      五月二十二日 甘木市、丸山公園。

蛍飛ぶ筑後河畔佳人あり

      五月二十二日 原鶴温泉、小野屋泊り。

昭和31年(1956年)

夏山の襟を正して最上川

白糸の滝も眺めや最上川

      六月五日・六日 猿羽根峠。

俳諧を守りの神の涼しさよ

      六月五日・六日 駕籠にて羽黒に登る。

何事も神に任せて只涼し

大杉の又日を失し蔓手毬

      六月五日・六日 別に祈願といふものなし。

暁烏文庫内灘秋の風

      十月四日 金沢、高木を訪ふ。松風閣にて句会。「河北潟」
      一見。前日金沢大学の暁烏文庫を一見せり。

旅の風邪いたはり乍ら力(つと)めけり

      十月六日 比叡山 滋賀院 。祖先祭。

秋風や独潭和尚健在なりし

      十月七日 関西稽古会、第一回。近江堅田 祥瑞寺 。途に走井
      月心寺に立寄る。

昭和32年(1957年)

立山の其の連峰の雪解水

この旅や故人の墓に皆無沙汰

      四月九日 福野行。

嘗て手を握りし別れ墓参り

      四月十一日 松任在北安田、 明達寺 。松任、聖興寺。金沢
、       浄誓寺を訪ふ。

松原の続く限りの秋の晴

      十月四日 敦賀行。立子と共に。気比の松原。

二村は刈田二枚に三世帯

      十月五日 芭蕉の遊びたる 色ケ浜 に遊ぶ。

芭蕉忌の燭の芯翦る坊が妻

秋風にもし色あらば色ケ浜

      十月五日 色ケ浜 本隆寺 。芭蕉忌法要。

百丈の断崖を見ず野菊見る

野菊叢(むら)東尋坊に咲きなだれ

病む人に各々野菊折り持ちて

      十月十二日 昨夜三国、愛居泊り。 東尋坊 一見。

昭和33年(1958年)

花見にと馬に鞍置く心あり

      四月十三日  身延 に行く。

白糸の滝の陰晴常ならず

      四月十三日 草樹会。裸子会。孰れも身延山にて催す。身
      延行にて得たる句出句。四月十四日、 白糸滝 を見る。

老いて尚雛の夫婦と申すべく

      四月二十七日 甘木、 秋月の句碑 除幕に列し、門司行。二十
      八日、関門トンネル開通祝賀句会列席の為め門司岡崎旅館泊
      り。二十九日、夜汽車帰東。

夏蝶の高く上りぬ大仏(おおぼとけ)

      五月十日 大仏句会。大仏殿。

かりそめに人人らしめず薔薇の門

      五月二十六日  川崎大師 、句会。

金色の涼しき法の光かな

      五月二十六日 本堂改築竣工。

歯塚とはあらはづかしの落葉塚

我生の七月二十日歯塚立つ

   歯 塚

楓林に落せし鬼の歯なるべし

      七月二十日 午前、第二回。

門松を立てゝ静かに世にあらん

子規墓参今年おくれし時雨かな

      十一月一二日 新年四句。

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