このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

虚子の句碑

凄かりし月の団蔵七代目



成田市成田に 成田山公園 がある。

凄かりし月の団蔵七代目

   九月十日 成田の額堂に七代目団十郎の石像があったが、久
   しく鼻が欠けたままになつてゐた(今は修覆されてゐるが)。
   七代目団蔵がこれを嘆き、六代目団蔵の像と共に別の銅像を
   建立した。今度襲名した八代目団蔵は、七代目団蔵追善供養
   の為め、其後撤去した銅像の残された台石の上に句碑を建て
   ることにした。

『六百句』

成田山公園に高浜虚子の句碑があった。


凄かりし月の団蔵七代目

昭和18年(1943年)10月、建立。

 この句碑のところには七代目団十郎と六世団蔵の銅像があったが、戦時中供出 されたので、昭和18年に八代目団蔵は七代目団蔵の追善供養の為、台座の上にこの句碑を建てた。

台座の上の句碑


 千葉県成田市成田公園の不動橋上にこの句碑が建って居る。ちょっと風変りな句碑である。高さ六尺の台石の上にはもと七代目團十郎と六代目團蔵の銅像が建って居た。戦時供出の後、横六尺の扇形の自然石に前書とともに刻んだこの句碑が建てられたものであることは、碑面の文章によって明瞭である。即ち活字体のような書体で次の如く刻まれて居る。(この書体も虚子翁の筆蹟だそうである。)

成田の額堂に七代目團十郎の石像があったが久しく鼻が欠けたまゝになつてゐた(今は修覆されてゐるが)七代目團蔵が之を嘆き六代目團蔵の像と共に別の銅像を建立した其銅像大東亜戦争の為に逸早く応召した今度襲名した八代目團蔵は七代目團蔵追善供養の為残された台石の上に句碑を建てた

凄かりし月の團蔵七代目   虚子

   昭和十八年十月建

 七代目團十郎の裃姿の石像は、今も額堂の土間に据って居るが、格別すぐれた作でもない。七代目團十郎と六代目團蔵の銅像は、明治四十四年九月、六代目團蔵が七十六歳で歿した翌年建造されたもので、本邦俳優銅像最初のものだという。


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