このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2009年
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チェリーパークライン
〜碑巡り②〜
車坂峠 からチェリーパークラインを下る。
小諸市のチェリーパークラインには
若山牧水
、
小林一茶
、高浜虚子など小諸ゆかりの人々が詠んだ歌碑、句碑が24基ある。
今日も幾つか写真を撮ってみる。
碑の前で車を停めるのは、大変なことである。
富安風生の句碑
小諸とは雨の涼しき坂の町
富安風生
は
高浜虚子
に師事。昭和4年(1929年)、『ホトトギス』同人となる。のち『若葉』を主宰。
昭和22年(1947年)、富安風生が小諸の疎開先に高浜虚子を訪ねた時に詠まれた句である。
姪が小諸に嫁いでいたことから、何度か小諸を訪れているそうだ。
高浜虚子の句碑
連峰の高嶺々々に夏の雲
昭和22年(1947年)7月12日、小諸故郷宅で詠まれた句。
連峰の高嶺々々に夏の雲
黒蝶の何の誇りも無く飛びぬ
七月十二日 土曜会一周年。小諸故郷宅。折から来諸中の杞
陽、柏翠、素顔、香葎、三拍子も出席。
『六百五十句』
チェリーパークラインには虚子の句碑があと2つある。
山国の蝶を荒しと思はずや
遠山に日の当りたる枯野かな
宮坂古梁の歌碑
一山に鳴り響きたる春の雷あとなくはれて桜かがやく
古梁は小諸町長。
明治43年(1910年)10月28日、若山牧水 は宮坂古梁に連れられて
浅間山
に登った。
大正4年(1915年)、宮坂古梁は太田水穂の『潮音』創刊に参加。
尾上柴舟の歌碑
なまぬくき匂満たせし山ざくら咲き極まれば雨呼ぶらしも
明治38年(1905年)、尾上柴舟は
若山牧水
、前田夕暮らと「車前草社」を創立。
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