このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2009年

懐古園〜碑巡り〜
indexにもどる

8年ぶり に小諸の懐古園に行く。


小諸城三の門


 寛保2年(1742年)の「寛保の戌の満水」と呼ばれる大洪水により流失し、現在のものは明和2(1765年)、3年(1766年)頃の再建と考えられているそうだ。

国指定の重要文化財である。

懐古園の玄関口にあたる。

馬場裏を出はずれて、三の門という古い城門のみが残った大手の通へ出ると、紺暖簾を軒先に掛けた染物屋の人達が居る。

『千曲川スケッチ』

小諸城は 日本百名城 のひとつ。

二の丸跡


 元小諸町長の宮坂古梁が晩年二の丸跡住み、懐古園を訪れる人達の良き案内人になっていたそうだ。

二之丸阯に藤村庵がある、古梁庵主宮坂さんが管理している、小諸文化春秋会という表札も出してある(藤村自身は藤村庵を深草亭と名づけた)。

種田山頭火 『旅日記』

二の丸の石垣が 若山牧水の歌碑 になっている。

黒門橋の紅葉


小諸市立藤村記念館の前に 島崎藤村 の像があった。


 昭和48年(1973年)4月22日、小諸ライオンズクラブ5周年記念に建立。

新たに「椰子の実」の詩碑が建てられていた。


名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実ひとつ
故郷の岸を離れて
汝はそも波に幾月

旧の樹は生ひや茂れる
枝はなほ影をやなせる
われもまた渚を枕
孤身の浮寝の旅ぞ

『落梅集』(明治34年8月刊)所収。

 明治31年の夏、 柳田國男 が伊良湖に滞在、 恋路ヶ浜 を散策中に椰子の実を拾った。その話を島崎藤村に語ったところ、それが素材となって「椰子の実」の詩が生まれたという。

平成20年(2008年)11月29日、建立。

一師二友の歌碑があった。


此の夕へ外山をこゆる秋風に
   椎もくぬきも音たてにけり
    太田水穂

高らかに歌ひつづけむ大らかに
   人をも身をもたたへんと思ふ
   土屋残星

しら雪にあけぼの匂ふ浅間山
   けむりしずめて高くそびゆる
   宮坂古梁

 昭和25年(1950年)、二の丸跡に居を構えていた宮坂古梁が庭に建てた歌碑だそうだ。

水の手展望台から千曲川を見下ろす。


藤村の詩碑 がある。

昭和20年(1945年)4月14日、高浜虚子は 小諸疎開中 に懐古園に遊ぶ。

紅梅や旅人我になつかしく

      四月十四日 在小諸。懐古園に遊ぶ。


高浜虚子の句碑


紅梅や旅人我になつかしき

平成元年(1989年)3月12日、建立。

 いはゆる小諸の古城址なる懐古園に行つてみる。滿目たゞ荒涼たる枯木ばかりのなかに、一本の紅梅の、蕾はまだ固いながらも、流石に春を忘れぬげに媚を呈せんとしてをるのに逢ふ。

   紅梅や旅人我になつかしき

『小諸雜記』(小諸淺春)

私の旅日記2009年 〜に戻る



このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください