このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
虚子の句碑
人々に更に紫苑に名残りあり
小諸の北国街道を歩くと虚子旧宅があった。
此頃はほぼ其頃の萩と月
九月十日 九月四日、信州小諸に移住。「奥の細道」第二回
演能の由申来りたる桜間金太郎に寄す。
『六百句』
虚子旧宅
近代俳句の巨匠高浜虚子は昭和19年9月折から激しさを増した戦火を避けて、ここ小諸に疎開、昭和22年10月まで足掛4年をこの家で暮した。
虚子は明治7年愛媛県松山市に生まれ、明治27年同郷の先輩
正岡子規
を頼って上京、明治43年から没年までは神奈川県
鎌倉
に住んだ。
その間にあって小諸時代は温暖な地に生まれ暮した虚子に山国の厳しくも美しい風土を知らしめ、虚子文学を真に偉大で幅広いものへと育んだ。
小諸市教育委員会
入口に虚子の句碑
柴を負ひそれにしめじの籠をさげ
昭和22年(1947年)、
富安風生
は小諸の疎開先に高浜虚子を訪ねた。
小諸に虚子先生を訪ねて 三句
師の浅間梅雨晴間得て見に出づる
いやまさきく梅雨籠しておはしけり
俳小屋に梅雨もたのしくうちつどひ
『母子草』
虚子旧宅の脇にも虚子の句碑
人々に更に紫苑に名残りあり
昭和22年(1947年)10月5日、小諸山廬桃花会の句。
案山子我に向ひ問答す
人々に更に紫苑に名残りあり
黄しめじを又つが茸を貰ひけり
秋晴の名残の小諸杖ついて
十月五日。桃花會。小諸山廬。
『六百五十句』
秋晴の名殘の小諸杖ついて
桃花會。小諸山廬。足かけ四年間を住んだ小諸 を去る日が近づき、送別句会が催された。土地の人々とも親しさを増し、朝夕眺める山野にも別れ惜しかつた。庭石の傍に毎年背高く伸びて花をつけた紫苑にも心が残つた。
『虚子一日一句』
(星野立子編)
虚子の句碑
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