このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

牧水歌碑
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小諸〜懐古園〜

 若山牧水は岩崎樫郎のすすめで明治43年(1910年)9月13日から11月13日まで病気療養のために小諸本陣隣の 田村医院 に滞在した。牧水26歳の頃である。

   九月初めより十一月半ばまで信濃国浅間山の麓に遊べり

城あとの落葉に似たる公園に入る旅人の夏帽子かな

かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな

『路上』

歌碑が懐古園の石垣にある。


かたはらに秋ぐさの花かたるらくほろびしものはなつかしきかな

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既成の石垣を碑とする最初の試みである。

 木曽町にある 山村代官屋敷東門跡 の石垣の石に横井也有の紀行文「岐岨路紀行」の一節が刻まれている。延享4年に石垣が改修された時に刻まれたものである。

 昭和9年(1934年)11月4日、除幕。牧水の歌碑としては、沼津 千本浜公園 に次ぐもの。

 昭和11年(1936年)5月18日、 種田山頭火 が懐古園を訪れて「二之丸阯の一つに牧水の歌が刻んである」と書いている。

 ちなみに3番目は延岡市 城山公園 の「なつかしき城山の鐘」の歌碑で、昭和10年3月17日に建てられた。

なつかしき城山の鐘鳴りいでぬをさなかりし日聞きしごとくに

 昭和2年(1927年)7月24日、朝鮮旅行からの帰途、叔父(長田勧善)が住職をしていた台雲寺に滞在。その2階で城山の鐘を聞いて詠んだ歌。

延岡はあまりに遠いので、見に行けない。

白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけれ

『路上』

この歌碑は チェリーパークライン にある。

田村病院 にもあるそうだが、よくわからない。

秋風のそら晴れぬれば千曲川白き河原に出てあそぶかな

『路上』

この歌碑は 千曲川万葉公園 にある。

 大正11年(1922年)10月16日、若山牧水は『みなかみ紀行』の旅で 岩村田 から懐古園に入った。

 翌朝は早く松原湖へゆくはずであったが余りに大勢なので中止し、軽便鉄道で小諸町へ向う事になった。同行なお7、8人、小諸町では駅を出ると直ぐ島崎さんの「小諸なる古城のほとり」の長詩で名高い懐古園に入った。そしてその崩れかけた古石垣の上に立って望んだ浅間の大きな裾野の眺めは流石に私の胸をときめかせた。過去14、5年の間に私は2、3度も此処に来てこの大きな眺めに親しんだものであった。ことにそれはいつも秋の暮れがたの、昨今の季節に於てであった。

 昨日から一緒になつてゐるこの土地のM—君はこの懷古園の中に自分の家を新築してゐた。そして招かれて其處でお茶代りの酒を馳走になつた。


この土地のM—君」とは宮坂古梁の事と思われる。

宮坂古梁は大正4年(1915年)ごろ懐古園内に藤村庵を建てているそうだ。

大正14年(1925年)6月、牧水は揮毫会で小諸を訪れている。

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