このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

私の旅日記2015年

二日市温泉〜碑巡り〜
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JR鹿児島本線二日市駅前に 野口雨情 の歌碑があるというので降りてみた。


野口雨情の歌碑


山ぢゃ天拝月見の名所
   梅ぢゃ太宰府天満宮

梅と桜は一時にゃ咲かぬ
   うすらおぼろの夜がつゞく

今日は武蔵の温泉泊り
   旅の労れを湯で治す

野口雨情作詩 筑紫小歌より

昭和63年(1988年)12月18日、筑紫野市建立。

二日市温泉まで歩く。

二日市温泉「御前湯」の前に 夏目漱石の句碑 があった。


温泉のまちや踊ると見えてさんざめく

 明治29年(1896年)9月、漱石が新婚旅行で二日市温泉に遊んだ際の句だそうだ。

 漱石は9月25日付正岡子規宛ての手紙で「小生当夏は一週間程九州地方汽車旅行仕候」と書いている。

 昭和5年(1930年)12月7日、 種田山頭火 は武蔵温泉に入浴している。

ぽかぽかと小春日和だ、あまり折れ曲りのない道をこゝまで四里、酔が醒めて、長かつた、労いた(マヽ)、夕飯をすまして武蔵温泉まで出かけて一浴、また一杯やつて寝る。


 昭和6年(1931年)12月29日、山頭火は再び武蔵温泉に入っている。

 十二月廿九日 曇、時雨、四里、二日市、和多屋。

十時、電車通で別れる、昨夜飲み過ぎたので、何となく憂欝だ、どうせ行乞は出来さうもないから、電車をやめて歩く、俊和尚上洛中と聞いたので、冷水越えして緑平居へ向ふつもり、時々思ひだしたやうに行乞しては歩く。

武蔵温泉に浸つた、温泉はほんたうにいゝ、私はどうでも温泉所在地に草庵を結びたい。


 昭和30年(1955年)5月14日、 高浜虚子 は二日市温泉「玉泉閣」に泊まる。

 五月十四日、午前十一時。星野立子に誘導され羽田より空路。午後三時福岡の板付に著き、二日市に一泊。田中斐川東道。

「詫びの旅」

更衣したる筑紫の旅の宿

      五月十四日 飛行機 板付著。福岡県二日市、玉泉閣。


「玉泉館」の前に 高浜虚子の句碑 があった。


更衣したる筑紫の旅の宿

   虚子句日記による

昭和三十年五月十四日、飛行機 板付着 福岡二日市 玉泉閣

虚子は翌15日柳川、翌16日は熊本の 江津湖 を訪れた。

擴ごれる春曙の水輪かな

五月十四日羽田を発ち板付へ。二日市、玉泉閣泊。翌十五日柳川行。松涛園(お花、立花邸)泊。その日の句。それより熊本、江津荘泊。十七日三角港より島原。十八日雲仙を越え長崎、桃太郎泊。二十九日まで長い旅をつゞけた。

『虚子一日一句』 (星野立子編)

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