このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

旅のあれこれ文 学


高野素十ゆかりの地

本名は高野与巳(よしみ)。医学博士。 高浜虚子 に師事。「芹」主宰。

山口誓子阿波野青畝水原秋桜子 とともに「ホトトギスの四S」と称された。

 明治26年(1893年)、茨城県北相馬郡山王村(現:取手市神住)に生まれる。

 昭和24年(1949年)4月27日、 高浜虚子 は和倉温泉 加賀屋 にて句謠会。素十会す。

 昭和26年(1951年)11月、2回目の小国訪問。大久保橙青は高野素十を 大観峰 に案内した。

 昭和37年(1962年)、石橋長英は古稀を迎えて「石文記」を刊行。高野素十から「明け易き一日一日を重ねきし」の祝句が届いた。

 昭和51年(1976年)10月4日、83歳で死去。 神野寺 に葬られた。

空をゆく一とかたまりの花吹雪

長光寺(群馬県伊勢崎市)

盃を重ねていゝ花夕べ

鹿野山(千葉県君津市)

多芸輪中大垣輪中夏に入る

養老寺(岐阜県養老郡養老町)

朴の花しばらくありて風渡る

甲山中学校(愛知県岡崎市)

一日の阿蘇行その後冬籠

(熊本県阿蘇郡小国町)

大観峰

(熊本県阿蘇市)

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