このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

旅のあれこれ文 学


阿波野青畝ゆかりの地

本名は敏雄。旧姓橋本。原田浜人、 高浜虚子 に師事。

山口誓子高野素十水原秋桜子 とともに「ホトトギスの四S」と称された。

 明治32年(1899年)2月10日、奈良県高市郡高取町に生まれる。

 大正2年(1913年)、奈良県立畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)に入学。

 大正6年(1917年)10月24日、高浜虚子が大和郡山の門人原田浜人を訪れた時、虚子と出会い、師事する。

 昭和4年(1929年)、俳誌『かつらぎ』主宰となる。同年『ホトトギス』同人。

 平成2年(1990年)、森田峠は青畝より『かつらぎ』を継承。

 平成4年(1992年)12月22日、93歳で永眠。

五月雨の雨垂ばかり浮御堂

浮御堂(滋賀県大津市)

山涼しみやこ忘れと聞くからに

永慶寺(奈良県大和郡山市)

今日の月長いすゝきを生けにけり

長谷寺(奈良県桜井市)

翁忌に行かむ晴れても時雨れても

難波別院南御堂(大阪府大阪市)

深秋や逸然禅師お隣に

国清禅寺(兵庫県南あわじ市)

鶺鴒は夜泊石を教へけり

宗隣寺(山口県宇部市)

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