このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
春もやゝけしき調ふ月と梅
伊勢崎市境に長光寺という寺がある。
長光寺山門
天台宗
の寺である。
小柴山長光寺
左手に芭蕉の句碑があった。
春もやゝけしき調ふ月と梅
出典は
『薦獅子集』
(巴水編)。
元禄6年(1693年)1月20日、
深川芭蕉庵
から大垣の木因に宛てた書簡にある。
『蕉翁句集』
は「元禄五甲
(ママ)
ノとし」とする。
天保12年(1841年)3月、其日庵有物社中建立。仁井田
碓嶺
筆。
『はせをつか』
(楓幻亜編)に収録されている。
当初は境町諏訪町の三夜堂境内に建てられたそうだ。
宝暦11年(1761年)、石原有物は上淵名村(現・伊勢崎市)に生まれる。江戸の小簑庵碓嶺に師事。其日庵と号した。
天保13年(1842年)春、81歳で他界。
碑の裏には有物の辞世に続いて、21名の追悼句が刻まれている。
是ほどの花に別れて法の旅
有物
風ふくとおもふは花の散日かな
碓嶺
高野素十
(すじゅう)
の句碑があった。
空をゆく一とかたまりの花吹雪
素十の句碑は全国で64基あるそうだが、私は初めて見た。
明治26年(1893年)、
高野素十
は茨城県北相馬郡山王村(現・取手市神住)に生まれる。本名は高野与巳
(よしみ)
。医学博士。
山口誓子
、
阿波野青畝
、
水原秋桜子
と共に『ホトトギス』の四Sと称された。
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