このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
虚子の句碑
蛍飛ぶ筑後河畔のよき宿に
原鶴温泉
「ホテルパーレンス小野屋」
(HP)に高浜虚子の句碑があるというので、訪ねてみた。
小野屋は創業130年の老舗旅館。
昭和30年(1955年)5月22日、
高浜虚子
は小野屋に泊まっている。
原鶴の小野屋泊り。嘗つてその門前を過ぎたることありし。筑後川の大出水に家屋半ば流失との事。復興。
螢とぶ筑後河畔に佳人あり
虚子
おくれゆくこの子の籠に螢一つ
立子
寢巻の子寢巻でなき子螢追ふ
同
これにて一切の詫びを濟ませ、一所一泊の慌しい旅を終つた。板付から伊丹まで空路。
「詫びの旅」
螢飛ぶ筑後河畔に佳人あり
五月十四日より九州へ旅立。原鶴温泉、小野屋に至る。美しい女主あり。その夜、筑後河畔に螢狩の子等を見かける。菜殻火
(ながらび)
も見る。蚊遣の蚊もなつかしくいよいよ旅も終りに近づいた心持になり夜を更かした。
『虚子一日一句』
(星野立子編)
蛍飛ぶ筑後河畔佳人あり
五月二十二日 原鶴温泉、小野屋泊り。
『七百五十句』
昭和33年(1958年)4月28日、虚子は再び小野屋に泊っている。
病絲女、その母(毎年白玉粉を送つてくれる)その門前に待受けてくれたのに車を停め、挨拶。嘉太櫨邸休憩、庭前の句碑を見る。
その夜、原鶴温泉、小野屋泊り。女將禮讃の舊作。
螢とぶ筑後河畔に佳人あり 虚子
「關門トンネルを通る」
「ホテルパーレンス小野屋」の中庭に高浜虚子の句碑があった。
蛍飛ぶ筑後河畔のよき宿に
昭和43年(1968年)6月10日、建立。
昭和三十年五月二十二日、虚子先生九州佗の旅の最後を当旅館で過ごされし折御揮毫たまはりたる御句。
虚子の句碑
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