このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
私の旅日記
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2009年
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西光寺
〜碑巡り〜
大石田町大石田に西光寺という寺がある。
時宗
の寺である。
応永年間(1394〜1428)、創建。
仁王門
慶応3年(1867年)、造営。
仁王像と共に大石田町指定有形文化財である。
観音堂
本尊は聖観世音菩薩像。
明治5年(1872年)、再建。
観音堂の裏に
高浜虚子の句碑
があった。
夏山の襟を正して最上川
昭和31年(1956年)6月5日の句。
夏山の襟を正して最上川
白糸の滝も眺めや最上川>
六月五日・六日 猿羽根峠。
『七百五十句』
天童を出て羽黒山に向つた。最上川の舟著場。子規はこゝから舟に乗つた。芭蕉もこゝから舟に乗つた。父はそのまゝ猿羽根
(さばね)
峠を越え、最上川に沿つて自動車を駆つた。最上峡で両岸に夏山の迫つてゐる所に出た。
『虚子一日一句』(星野立子編)
観音堂の奥に3つの句碑が並んでいた。
中央が芭蕉の新しい句碑。
さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川
元禄2年(1689年)5月29日、
高野一栄
亭で巻かれた歌仙の発句。
昭和50年(1975年)5月、建立。
左は李兮の句碑。
吹かるゝや骨となっても枯尾花
李兮は医師田中玄水、別号是々窟。
右は只狂の句碑。
只狂は大石田の俳人土屋作兵衛。別号暁華園。『もがみ川集』撰。
夜着重し桜や咲ん雨の音
古い芭蕉の句碑はガラスの中にあった。
芭蕉の句碑
さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川
明和年中(1764〜1772)に土屋只狂が芭蕉の真筆を模刻して建立。
昭和40年(1965年)、
山口誓子
は西光寺に句碑を訪ねている。
「最上川のほとり一栄子宅におゐて興行」と結ばれている。芭蕉の泊った一栄の家が現在の板垣氏の家だ。
さみだれのその発句は句碑になって西光寺に建っている。それを板垣氏と見に行く。
歌仙の字を引伸ばしたのだ。
さみ堂礼遠あつ免てすずしもがみ川
一栄の家の裏は最上川であった。その家から、五月雨に水量増し、川幅の拡がった最上川を見ていると、いかにも涼しく思われるのだ。
建立の年代は明和年間か。
『句碑をたずねて』(奥の細道)
一栄の句碑もあった。
岸にほたる繋ぐ舟杭
歌仙の脇句である。
さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川
芭蕉
岸にほたるを繋ぐ舟杭
一栄
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