このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
島木赤彦ゆかりの地
いろは館跡
〜島木赤彦〜
こんにゃく閻魔
から千川通りを行き、富坂下交差点で国道254号(春日通り)の坂を上る。
富坂上で右に路地を入ると、「いろは館跡」の碑がある。
いろは館跡
大正のはじめ、歌人島木赤彦ここに下宿してアララギの發刊に当る
島木赤彦 は大正3年(1914年)4月から12月まで小石川区上富坂町23番地(現・小石川2−10−1)のいろは館に住む。
12月から翌年6月まで小石川区白山御殿町127番地(現・白山4−26−3)に移った後、再び大正4年(1915年)6月から大正6年(1917年)の5月まで、小石川区上富坂町23番地(現・小石川2−10−1)のいろは館に住む。
大正4年(1915年)からアララギの編集人が赤彦に移る。
小石川富坂上の木ぬれにはここだも通る夜の雲かも
島木赤彦は近くの淑徳高等女学校の講師も勤めていた。
学校の授業はありと思ひつつ暁われは眠りたるかな
大正3年(1914年)頃、
若山牧水
は「いろは館跡」に赤彦を訪れているそうだ。
赤彦と牧水夫人喜志子はともに信濃出身で縁があった。
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