このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

島木赤彦ゆかりの地


島木赤彦住居跡〜柿陰山房〜

津島神社 の坂を下ると、島木赤彦住居跡「柿陰(しいん)山房」がある。


島木赤彦住居跡「柿陰(しいん)山房」


島木赤彦住居(柿陰山房)

 赤彦は明治30年久保田家の養嗣子となり、大正15年3月死去迄この家を根拠に生活したが、大正7年東京の アララギ発行所 から帰郷以来ここで起居、自ら「柿陰山房」と命名した。間口8間半、奥行5間半、氏族の家造りとしても評価が高い。

 書斎は西向き8畳の上座敷であったが、冬は寒く夏は暑かったので、大正14年東南の一部に日当りのよい書斎を新築した。庭の赤松は樹齢300余年、目通周2米、又門口の胡桃は樹齢130年余、共に赤彦の特に愛惜した老木である。

 なお津島神社前に歌碑、裏山に赤彦と夫人不二子の墓がある。

雪ふれば山より下る小鳥多し障子の外に日ねもす聞ゆ

下諏訪町教育委員会

門口の胡桃


大正15年

ある日わが庭の胡桃(くるみ)に囀(さえず)りし小雀(こがら)来らず冴えかへりつゝ

庭の赤松


大正14年

庭の松四方にのびて土を這へり老いたるものに霜のさやけさ

古井


大正3年

桑の葉の茂りをわけて来りけり古井の底に水は光れり

屋敷の小祠


大正4年

子の政彦の重病に身代りとなった猫を祀る。

子をつれて来り拝めりわが家に猫をまつりし屋敷の小祠(ほこら)

大正9年

日かげ土かたく凍れる庭の上を鼡走りて土蔵(くら)に入りたり

美ヶ原 へ。

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