このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芥川龍之介ゆかりの地

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芥川龍之介文学碑〜「大川の水」〜

JR総武線錦糸町駅南口を出て京葉道路を行くと、江東橋に両国高校がある。


 明治34年(1901年)4月、京橋区築地3丁目(現・中央区築地4丁目)の東京府第一中学校分校を東京府第三中学校と改める。7月、東京府立第三中学校と改称。

 明治35年(1902年)2月、本所区柳原1丁目(現・墨田区江東橋1丁目)に校舎を新築移転。6月、開校式挙行。

 明治37年(1904年)2月、第1回卒業式挙行。

この時の卒業生は22名だったそうだ。

 明治38年(1905年)、芥川龍之介は江東小学校高等科2年を修了。東京府立第三中学校に入学する。龍之介の1年先輩に 久保田万太郎 がいた。江東小学校には 『杜子春』の文学碑 がある。

昭和25年(1950年)1月、東京都立両国高等学校と改称。

両国高校の正門を入ると、左側に芥川龍之介「大川の水」の文学碑がある。

芥川龍之介「大川の水」文学碑


 もし自分に「東京」のにおいを問う人があるならば、自分は大川の水のにおいと答えるのになんの躊躇もしないであろう。ひとりにおいのみではない。大川の水の色、大川の水のひびきは、我が愛する「東京」の色であり、声でなければならない。自分は大川あるがゆえに、「東京」を愛し、「東京」あるがゆえに、生活を愛するのである。

「大川の水」

「大川の水」の最後の部分である。

 「大川の水」は大正3年(1914年)4月1日発行の雑誌『心の花』第18巻第4号に「柳川隆之介」の署名で掲載されたそうだ。

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