このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

石田波郷


『江東歳時記』を歩く

江戸川6丁目で

蓮田風起ちて形代流しかな

JR総武線新小岩駅から葛西駅(新小22)行きの都バスに乗る。

瑞江中学校前で下車し、古川親水公園に向かう。


江戸川区指定有形文化財・民俗資料「宇田川家長屋門」がある。

宇田川家長屋門


宇田川家長屋門

 江戸時代の村では建物にもさまざまな制限が設けられており、門構えを許された家も限られていました。長屋門は外観が立派なことと両側を物置に利用できて便利なので、特に好まれました。

 宇田川家は江戸時代に二之江村の役人を務めていました。この門は江戸時代後期に建てられたと推定されています。茅葺きで武者窓のあるのが特徴です。

 平成24年(2012年)3月、宇田川家長屋門は森山リハビリテーション病院特別養護老人ホーム建設のため破壊され、跡形もないそうだ。

宇田川家長屋門の前に二之江の行徳道石造道標がある。

二之江の行徳道石造道標


正面に「是ヨリ左リ行徳道」、左面には「田中孫右衛門」とある。

古川親水公園


昭和48年(1973年)古川親水公園完成。日本で最初の親水公園である。

古川親水公園を行くと、二之江神社がある。


二之江神社


 江戸川6丁目に古川の流れをはさんで香取神社と八幡神社が並んでいる。旧二之江村が2社もっていたもので、明治、大正の間村社として幣帛料が下りていたのは香取様の方だ。11月3日の例大祭も仲よく一緒にやる。

『江東歳時記』 (江戸川6丁目で)

 昭和41年(1966年)11月、香取神社と八幡神社を合祀して、新たに二之江神社とした。

史跡二之江神社

 旧二之江村の鎮守で、香取神社と称し、明治6年村社となる。創立年月は定かではないが、経津主命(ふつぬしのみこと)を祀り、現在地にあった。

 八幡神社は寛文年間(1661−1673)の創建で、誉田別神(ほんだわけのかみ)を祀る。もとは地元妙勝寺の境内社であって、三十番神ともいわれたが、昭和41年11月香取神社と合祀して、新たに二之江神社とした。

妙勝寺


大欅(けやき)

 境内のほとりを流れる親水河川古川が、天正時代(1573−1592)の昔、行徳の塩を江戸に運ぶ水路として利用されたというが、当時の面影をその年輪に刻み込むかの如く境内の奥にそそり立つ大欅は、樹齢500年ともいわれ、幹経160センチメートル、樹高20米の区内屈指の巨木である。

大欅(けやき)


 6月30日の夏越祓(なごしのはらえ)は昔どこでもやったものだが、戦後は著しくすたれて、周辺の農家地帯にしか残っていない。 香取様の拝殿に上ると、梅雨の蓮田や菊畑のながめであおあお入口を染めている。氏子300戸、古い農家ばかりで、田中、中里、小島、宇田川などの姓が多い。氏子たちの1年の汚(けが)れをのりうつらせた人形(ひとがた)の紙が三宝に盛られている。西小松川の 香取神社 から出張してきた亀井鳴瀬さんがおごそかにお祓いをする。今度は人形の三宝をささげて香取橋をわたり、八幡様でもう一度お祓いをする。

『江東歳時記』(江戸川6丁目で)

二之江神社に香取神社八幡神社合祀記念碑があった。

香取神社八幡神社合祀記念碑


 裏面に「二之江神社宮司亀井悦造」と書いてある。「亀井鳴瀬」は「宮司亀井悦造」の俳号である。

二之江神社から環七通りを越えて、古川親水公園を歩く。

新川橋の手前で古川親水公園は終わる。


新川橋で新川の写真を撮る。


鴨がいた。

 お神酒と人形を抱えて一同は、またこぼれかかった小雨の中を川に沿って下る。古川は三角橋で新川と合する。橋桁(はしげた)に身をのり出すようにして、人形を流す。川風にあおられて人形は紙吹雪となって水面にちりしくと、すぐぬれて波にまぎれてしまう。香取様1,500人の氏子の汚れは放水路に出、やがて東京湾に流れ去ってしまうのであろう。人はかなしきわざをするものである。

『江東歳時記』(江戸川6丁目で)

新川沿いに三角橋まで歩く。

三角橋で新川の写真を撮る。


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