このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
石田波郷ゆかりの地
殺生石
元旦の殺生石の匂ひかな
殺生石
新春俳句雑談
元旦の殺生石の匂ひかな
勿論那須の殺生石です。那須の湯本から上の方へゆくと賽の河原のやうなところがあつて、更に一寸登つたところに、置かれたやうな石がそびえてゐます。硫気のにほひが鼻をついて、私が見た時も虫の死骸がたくさん散つてゐました。傍らに句碑が建つてゐて
飛ぶものは雲ばかりなり石の上 芭蕉
とあります。これはまた見事な誤伝で、「名所小鏡」に「殺生石」と題して出てゐる麻父といふ人の句です。芭蕉の句は
石の香や夏草赤く露暑し
で、これは賽の河原の道傍の草かげに、見過してしまふやうな小さな句碑が建つてゐます。麻父の句の方がわかりやすいので、いつの間にかすりかへられたものでせう。
麻父の句碑
「芭蕉」の文字が消してある。
芭蕉の句碑
元禄2年(1689年)4月19日(新暦6月6日)、芭蕉は
殺生石
を訪れた。
私は大東亜戦争が初まつたばかりの十二月の末から正月にかけて、那須に湯ごもりをしてくらしたことがあつて、右の句を作りました。殺生石はいつでも匂つてゐるわけですが、その異様に迫るやうな匂ひは、元旦の山の空気の中では一層印象的だつたわけです。他の俳人はどうか知りませんが、私はよくひとに正月の句を色紙や短冊に書いてくれと頼まれて気づくのですが、正月の句は非常にすくないのです。しこでこの元旦の殺生石の句を書いてみるのですが、正月の句はやはり正月の部屋に飾るにはどうも不向きのやうです。現代俳人の句には、短冊にかいてかけておくのには向かない句が次第に多くなつてゆくやうです。俳句が俳人以外の一般の支持、あるひは愛好者層を失つてゆくとすれば、かういふことも一つの原因になるのではないかと思ひます。
住友海上火災「代理店通信」昭和37年1月号
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