このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

田山花袋ゆかりの地

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鉢形城跡〜田山花袋の漢詩碑〜

JR八高線寄居駅から正喜橋で荒川を渡る。


荒川


 大正9年(1920年)4月、田山花袋 は紀行文「秩父の山裾」で「東京付近においてこれほど雄大な眺めを持つ峡谷はない。」と書いているそうだ。

鉢形城跡本丸跡


日本100名城 No.18である。

鉢形城跡

 鉢形城は、荒川に臨んだ断崖上に位置し、南には深沢川があって自然の要害をなしています。文明8年(1476年)に長尾景春が築城し、その後上杉方の持城として栄えました。室町末期に至り、上杉家の家老で、この地方の豪族であった藤田康邦が、北条氏康の三男氏邦を鉢形城主に迎え入れ、小田原北条氏と提携して北武蔵から上野にかけての拠点としました。

 城跡は、西南旧折原村を大手口とし、東の旧鉢形村を搦手としています。本丸、二の丸、三の丸、秩父曲輪、諏訪曲輪等があり、西南部には侍屋敷や城下町、寺院、神社があり、土塁、空堀が残っています。

 天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原攻めの際、前田利家、上杉景勝、本多忠勝、真田安房守らに四方から攻撃され、3ヶ月の戦いの後、落城しました。

寄居町・埼玉県

 永正6年(1509年)8月15日、 宗長 は長尾顯方の館鉢形を訪れている。

同十五日、氏宗おなじく息政定、これかれ駒うちならへ、むさし野の萩薄の中を過行かてに、長尾孫太郎顯方の館はちかたといふ處につきぬ。政定馬上なからくちすさひに、

   むさし野の露のかきりハ分もミつ秋の風をハしら川の關


 安永2年(1773年)5月11日、横田柳几は島村嵐二を伴い鉢形城跡を訪れている。

大光寺、千島入道跡は泉水坂の上、大手の橋の内なり。姫曲輪秩父孫次郎、辺見曲輪辺見十八郎、福田庄丸これは秩父上吉田に末葉居るよし。本江越前守の信濃守何れも城下、本丸の下をまき淵と言う。岸の高さ十四丈二尺。氏邦の祈願所長久院、境内の搦手なり。瀬下丹後跡あり。連雀町、鍛冶小路、鉄炮小路、新小路、殿原小路、この道惣名木持村と言う。内宿、白宕(岩)、甘糟、関山を鉢形四ヶ所と言う。

      (城主の記略す)

   古城跡

城あとやまだ連(逆)茂木の茨の花
   嵐二


鉢形城跡に田山花袋の漢詩碑があった。


襟帯山河好  雄視関八州 (襟帯山河好し。雄視す関八州。)

古城跡空在  一水尚東流 (古城の跡空しく在り。一水尚ほ東流す。)

武者小路実篤の揮毫だそうだ。

宮沢賢治の歌碑 へ。

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