このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
歌 謡 曲
「雪の降る街を」の歌碑
高知市はりまや町に「はりまや橋公園」がある。
はりまや橋公園に「南国土佐」の歌碑があった。
1 南国土佐を 後にして
都へ来てから 幾歳ぞ
思い出します 故郷の友が
門出に歌った よさこい節を
土佐の高知の ハリマヤ橋で
坊さんかんざし 買うをみた
2 月の浜辺で 焚火を囲み
しばしの娯楽の 一時を
わたしも自慢の 声張り上げて
歌うよ土佐の よさこい節を
みませ見せましょ 浦戸をあけて
月の名所は
桂浜
3 国の父さん 室戸の沖で
鯨釣ったと 言う便り
わたしも負けずに 励んだ後で
歌うよ土佐の よさこい節を
言うたちいかんちや
おらんくの池にゃ
潮吹く魚が 泳ぎよる
よさこい よさこい
望郷の歌・故郷の歌
南国土佐を後にして
昭和30年代、歌手のペギー葉山が歌って、全国的に大ヒットし、南国土佐ブームを招いたこの歌は、日本歌謡史の中でも、特異な環境から誕生し、今に歌い続けられている歌である。
原詞・原曲は第二次世界大戦の最中、中国の戦場に派兵された第四十師団に属し、高知市朝倉で編成された歩兵第二三六連隊(通称・鯨部隊)所属の土佐出身の兵士により作られ、広く歌われた。
鯨部隊は、終戦に至るまでの約7年、一度も内地の土を踏むこともなく、過酷な戦場で戦い続けた。先の見えない戦野にあって、この歌は兵士たちに故郷の山河、父母、兄弟、姉妹、恋人の面影を思い出させ、胸をえぐられるような、切ない郷愁の思いから自然発生的に生まれてきた歌である。
集団就職した少女が故郷を偲んだものだとばかり思っていた。
旅のあれこれ
に戻る
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください