このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

西郷隆盛ゆかりの地


西郷隆盛終焉の地

鹿児島中央駅から「鹿児島・宮崎フリーきっぷ」で鹿児島駅へ。

日豊本線「特急きりしま14号」


鹿児島市城山町の鹿児島本線沿いに「西郷隆盛終焉の地」がある。


「晋どん、もうここらでよか」

—波乱の道、ここに尽きる—

 ズドン、ズドン!2発の銃弾が西郷隆盛の腰を大腿部を撃ち抜いた。城山洞窟を出てわずか300m、650歩でついに途は閉ざされたのです。「晋どん、もうここらでよか。」東を向き、皇居を伏し拝む西郷に、別府晋介の介錯の太刀が振り下ろされました。明治10年(1877年)9月24日のことです。西郷を敬愛する私学校生徒を中心に強力な反政府勢力となった薩軍が、2月15日に50年ぶりの豪雪をついて熊本に軍を進めて以来、7ヶ月もつづいた 「西南の役」 が終わったのです。

  熊本城 の攻防、 田原坂 の激戦に敗れ、人吉から宮崎、延岡に追われた薩軍はついに解散。西郷以下の幹部は宮崎県北の可愛岳(えのだけ)を突破し九州の中央山脈を縦走する難行軍の末、故郷鹿児島を死に場所に選んだのです。岩崎谷の銃声がやみ、西郷の死体が発見された時、政府軍の総司令 山県有朋中将は「翁はまことの天下の豪傑だった。残念なのは、翁をここまで追い込んだ時の流れだ」と語り、いつまでも黙祷したということです。

南洲翁終焉之地


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