このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

太田南畝


蜀山人の碑

台東区上野公園に上野恩賜公園がある。


上野恩賜公園の黒門跡に蜀山人の碑があった。


一めんお花ハ碁盤の上野山黒門前にかゝるしら雲

 碑面には、大書してこの歌を刻む。ついで、蜀山人についての説明、碑建設のいきさつを、細字で刻んでいる。歌の文字は蜀山人の自筆であるという。

 蜀山人は姓を大田、名を蕈、通称を直次郎といった。蜀山人はその号である。南畝・四方赤良(よものあから)など、別号多く、一般には大田南畝 と呼ぶ。幕臣であったが、狂文・狂歌を良くし、漢学・国学を学んで博識であった。江戸文人の典型といわれ、狂歌の分野では唐衣橘洲(からごろもきっしゅう)・朱楽管江(あけらかんこう)とともに、三大家と評された。文政6年(1823年)没。

 江戸時代、上野は桜の名所であった。昭和13年、寛永寺総門の 黒門 跡に、その桜と黒門を詠み込む蜀山人の歌一首を刻み、碑が建てられた。郷土色豊かな建碑といっていい。

 平成4年11月

台東区教育委員会

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