このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

石川啄木ゆかりの地


愛宕公園

野辺地町寺ノ沢に愛宕公園がある。


愛宕公園の北斜面に石川啄木の歌碑があった。


潮かをる北の濱辺の
砂山のかの濱薔薇よ
今年も咲けるや

『一握の砂』 収録の歌である。

碑陰の説明は、よく読めなかったので正確ではない。

 石川啄木が明治37年(1904年)9月29日初めての野辺地町をたずね「・・・・野辺地が浜に下車して 咲き残る浜茄子の花を摘み 赤きその実を漁童と味わいなどして・・・・」と友人へ報じている。

 伯父葛原對月が常光寺住職として15年間在住し、父一禎もこの師僧を慕って数年間身を寄せ、啄木もまた数回訪れて数々の文献を残された。我が町は県下唯一の啄木ゆかりの地といえる。天才詩人の琴線にふれた浜薔薇の実は今も浦の潮風にゆれている。

 ここに啄木没後満50年を記念し、万人に愛されている啄木文学を顕彰し、ゆかりの歌を刻み、その面影をしのぶよすがとした。

   昭和37年5月4日

葛原(かつらはら)對月は啄木の母カツの兄。

 明治40年(1907年)8月2日、啄木は野辺地に滞在していた母カツを迎えに行き、4日、 函館 に連れ帰る。

 八月二日の夜、予は玄海丸一等船室にありき。そは老母呼びよせむがため、野辺地なる父のもとまで迎えにゆくためなりき。

 三日青森に上陸、ただちに乗車(安並みなゑ女史と汽車中に逢う、学校をやめて八戸にかえる所、さびしくもやめる人なりき。)——夕刻野辺地にゆき、老父母及び伯父なる老僧の君に逢い一泊。

 翌早朝、老母とともに野辺地を立ち、青森より石狩丸にのりて午後四時無事帰函したり。

『啄木日記』

斜面の上に 芭蕉の句碑 がある。

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