このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
石川啄木ゆかりの地
水天宮
小樽市相生町の水天宮山に水天宮ある。
水天宮
水天宮に石川啄木の歌碑があった。
かなしきは
小樽の町よ
歌ふこと
なき人人の
声の荒さよ
昭和55年(1980年)6月、親潮会建立。
石川啄木歌碑に寄せて
明治四拾年、小樽日報に招かれた石川啄木は、小樽に来て初めて植民地精神に溢れた男らしい活動を見た。「小樽の人は歩くのではない、突貫するのである。朝から晩まで突貫する小樽人こそ、明日の日本をつくる気魄がある。」と礼讃した。
その印象を追想した碑の歌には、厳寒の新天地に夢と希望を抱き、たくましく働いた人々哀歓が端的に表れている。
商都小樽の発展に活躍した先人の労苦を偲び、□□□北の大地にひびく開拓の歌□□□して撰文した。
昭和五十五年六月
「撰文」の一部は読めなかった。
小樽港を見下ろす。
明治40年(1907年)4月24日、河東碧梧桐は
住吉神社
から水天宮山に登った。
左右に延びた町の中ほどに一凸起がある。高さは二三十級もあろう。それが水天宮山である。山の頂きから港内を見下ろして、海を隔てて遙に増毛山と相対する眺望は、神戸の諏訪山に似た趣きであるが、水天宮山は前後左右どちらにもそれぞれの眺望がある。帆柱のセミから船を見下ろす心持がする。
『三千里』
昭和6年(1931年)5月23日、
与謝野寛・晶子
夫妻は小樽で「北海ホテル」に泊まっている。
二本
(ふたもと)
のポプラの中にみなと見ゆ北の小樽の宿に覺むれば
ひとすぢの一萬二千幾尺の防波堤をば越ゆるしらなみ
「北海遊草」
「北海ホテル」は「小樽グランドホテル」となる。
平成21年(2009年)2月15日、「小樽グランドホテル」閉鎖。
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