このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

石川啄木ゆかりの地


釧路停車場跡

釧路市幸町に「交流プラザさいわい」がある。

釧路停車場跡である。

旧釧路停車場跡

 釧路に鉄道が開通したのは明治34年(1902年)7月20日のことで、釧路と白糠を結ぶものであり、現在地周辺が駅構内であった。

 「さいはての駅に下り立ち雪あかり、さびしき町にあゆみ入りにき」と石川啄木がうたったのはこの駅である。大正6年(1917年)に根室線(釧路・厚岸間)が開通したのにともない、駅は現在の釧路駅付近に移転、旧駅は、浜釧路駅と改称され貨物専用駅として釧路の発展を支えたが、その後、操車場の新設により旧釧路停車場は姿を消した。

明治34年(1901年)、釧路駅営業開始。
明治41年(1908年)1月21日、石川啄木は釧路停車場に降りた。
明治41年(1908年)4月5日、啄木は釧路港を出て函館に向かう。
明治44年(1911年)、釧路〜函館間全通。
大正6年(1917年)、貨物専用となる。
昭和36年(1961年)、移転。

「交流プラザさいわい」の角に石川啄木の歌碑があった。


浪淘沙(らうたうさ)
ながくも声をふるはせて
うたふがごとき旅なりしかな

『一握の砂』 収録の歌である。

昭和58年(1983年)8月、釧路観光協会建立。

 釧路には啄木の歌碑が25基もあるが、他の24基は 幣舞橋 を渡ったところにある。

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