このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

石川啄木ゆかりの地


啄木新婚の家

盛岡市中央通に「啄木新婚の家」があった。


啄木新婚の家


 詩人石川啄木は、明治38年(1905年)5月、東京で処女詩集『あこがれ』を出版し、それをみやげに帰郷の途についたが、金策の必要から途中仙台に下車して土井晩翠をその居に訪ねた。 仙台医学専門学校には郷友、猪狩見竜、小林茂雄らが在学中で、彼らと遊んで滞在すること10日におよんだ。その間、盛岡市帷子小路八番戸の借家には月末の30日に結婚式を挙げるべく、婚約者の堀合節子がその帰宅を待ちわびていた。 しかし啄木は遂に姿を見せなかった。そこでその夜級友上野宏一(画家)の媒酌で珍妙な「花婿のいない結婚式」がおこなわれた、それがこの家である。仙台をたった啄木は盛岡駅を素通りして渋民村に行き、ようやくこの家に顔を見せたのは6月4日だった。ここではじめて新婚の夫婦と両親、妹光子の5人が揃って家庭をもったのである。時に啄木は20歳。この家で稿を起こした随筆「閑天地」は連日、岩手日報の紙面をにぎわし、「我が四畳半」はよく新婚の夢あたたかな情景を描いている。ほかに「妹よ」、「明滅」、「この心」の作がある。

 啄木一家がここに在ること3週間、6月25日には中津川のほとり 加賀野磧町 四番戸に転居した。

 現在、盛岡市内の啄木遺跡といえるのは「啄木新婚の家」だけである。

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