このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

窪田空穂ゆかりの地


窪田空穂終焉の地

文京区目白台に日本女子大学がある。


日本女子大学の東側は閑静な住宅地である。

閑静な住宅地の中に「窪田空穂終焉の地」の案内板があった。

窪田空穂終焉の地


窪田空穂終焉の地

窪田章一郎宅 文京区目白台2−4−16

 窪田空穂 明治10年〜昭和42年(1877〜1967)。本名は通治。空穂は号。明治、大正、昭和の歌人、国文学者。

 窪田空穂は明治10年(1877年)6月8日、長野県東筑摩郡和田村(現・松本市和田)に生まれる。

 その文筆活動は、短歌、小説、随筆、評釈と多彩であった。多数の歌集のほか、万葉集、古今集、新古今集の評釈、源氏物語の現代語訳などを著した、一方早稲田大学教授として多くの人材を育てた。昭和16年、日本芸術院会員。昭和33年、文化功労者。

 明治45年(1912年)竹早町(現・小石川5丁目)に居住して以来、文京区とのゆかりが深く、この地に46年間住み、昭和42年4月12日ここで没した。享年89歳。

−郷土愛をはぐくむ文化財−

文京区教育委員会

窪田章一郎は窪田空穂の長男。

子孫の方は閑静な住宅地でひっそりと暮らしているようである。

雑司ヶ谷霊園 に窪田家の墓がある。

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