このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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夏目漱石ゆかりの地
雑司ヶ谷霊園
本教寺
から雑司ヶ谷霊園に立ち寄ってみた。
夏目漱石の墓は大きいので、すぐ分かる。
文献院古道漱石居士
圓明院清操浄鏡大姉
雑司ヶ谷は「K」の墓がある所である。
私は墓地の手前にある苗畠の左側からはいって、両方に楓を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。するとその端(はず)れに見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て来た。私はその人の眼鏡の縁が日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まって私の顔を見た。
「どうして……、どうして……」
先生は同じ言葉を二遍繰り返した。その言葉は森閑とした昼の中に異様な調子をもって繰り返された。私は急に何とも応えられなくなった。
『こころ』(上 先生と私 五)
後日、あらためて雑司ヶ谷霊園を訪れた。
窪田家の墓があった。
空穂
窪田通治 昭和四十二年四月十二日没 九十一歳
明治45年(1912年)、
窪田空穂
は
竹早町
(現・小石川5丁目)に46年間住み、昭和42年4月12日没した。
小栗家累代之墓もあった。
小栗上野介
明治元年四月六日卒 行年四十二歳
慶応4年(1868年)3月1日、
小栗上野介
は権田
東善寺
に隠棲、閏4月6日水沼村
烏川原
にて斬首。時に42歳であった。
雑司ヶ谷霊園には
竹久夢二
の墓もあるそうだ。
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