このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
鳶のゐる花の賎やとよあかさむ
大津町室の上井出沿いに大願寺という寺がある。
大願寺山門の左手高台に円通庵がある。
円通庵と芭蕉句碑
上井出沿いの街並から西に夕陽を拝むあたりに、円通庵はあります。室町時代文明年間(1480年頃)、「一宗院」と名乗る一人の山伏がやってきてここに草庵を営んだのが、起源と謂われています。以来荒れ果てた時期もあったそうですが、江戸中期享保7年(1723年)に熊本から浄智和尚が来住し、観世音菩薩を本尊に曹洞宗の寺院として再興したそうです。現存の本尊の製作年代は現在不明ですが、背面に焼跡を背負い、識者によれば明治34年(1901年)3月の室の大火で全焼した際の名残とされ、往時の記憶を今に留める木像物です。
円通庵の石段右手に「賎家墳」があった。
薤(蒜)のまがきに鳶をながめて
鳶のゐる花の賎やとよあかさむ(よみにけり)
天和2年(1682年)2月上旬、
木因
宛の芭蕉書簡にある句。
一日芭蕉翁より文通あり。其書面
当地或人附句あり。此句江戸中聞人無
二
御座
一
、予に聽評望来候へ共、予も此附味難
レ
弁候。依
レ
之為
二
御内儀
一
申進候。御聞定之旨趣ひそかに御知せ可
レ
被
レ
下候。東武へひろめて愚之手柄に仕度候。
附句
蒜の籬に鳶をながめて
鳶のゐる花の賎屋とよみにけり
寛政5年(1793年)10月、芭蕉百年忌に大津の軽舟と禿芝が建立。
『諸国翁墳記』
に「
附句塚 肥后大津驛圓通庵寺建 韮のまかきに鳶を詠めて 鳶の居る花の賎家とよめりけり 輕舟・香芝
」とある。
円通庵
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