このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
松風の於知葉可水能音寿々之
日立市東河内町に玉簾寺という寺がある。
瀑布山玉簾寺
臨済宗
円覚寺派の寺である。
茨城県指定文化財(彫刻)
木像観音菩薩坐像が安置されている瀑布山玉簾寺は、水戸藩第二代藩主
徳川光圀
の命によって、延宝6年(1678年)に創建されたものです。
この観音菩薩坐像は、檜材を用いた奇木造りで、像高59.3センチメートルあり、南北朝時代、14世紀ころに制作されたものです。
像の胎内には、徳川光圀が所持していた仏像を荘厳に修飾して、貞享3年(1688年)5月、玉簾寺へ安置したしとことを墨書した銘札が納入されています。
玉簾寺の観音菩薩坐像は、深い慈悲を感受され聖観音仏で、特に女性の苦悩を救ってくれる仏として知られています。北の玉簾・南の雨引(雨引山法楽寺)といわれ、安産祈願のため多くの参拝者が訪れています。
日立市教育委員会
観音堂の左手に芭蕉の句碑があった。
芭 蕉
松風の於知葉可水能音寿々之
(松風のおち葉か水の音すゝし)
出典は
『蕉翁句集』
。
『蕉翁句集』は「貞享元子ノとし」とする。
文政9年(1826年)4月、水戸の陶々、里見村小菅の磨牛、東河内上村の梅蘆の発願により建立。寛斎筆。
陶々は水戸藩士加藤寛斎の俳号。別号文昇。名は嘉継。通称は多吉、のち善兵衛と改めた。
慶応2年(1866年)8月28日、85歳で没。
玉簾寺境内にはもう一つの句碑がある。
「田毎碑」と篆額がある。
手習にこゆるも花の山路かな 松風翁
その下に9人の句が刻まれている。
観音堂の裏に「玉簾の滝」がある。
宝暦3年(1753年)4月、風光は玉簾の滝を見ている。
酉の卯月はしめ常州水戸白布山玉簾寺 に滝を見て
卯の花の瀧にも見慕恋やすむ哉
『宗祇戻』
(風光撰)
「玉簾寺と玉簾の滝」は茨城観光百選に選ばれている。
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