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『奥の細道』


『宗祇戻』(夕顔菴風光選)

和知風光は白河の俳人。夕顔菴。巽々坊。老鼠肝一世湖十門。

 寛延4年(1751年)秋、和知風光は白河から『宗祇戻』の旅に出る。南部城下で越年。松前に渡り、宝暦2年(1752年)10月下旬、白川に帰る。

 宝暦3年(1753年)12月、『宗祇戻』刊。風光巽々坊自序。吏登斎、老鼠肝(入門を許した折の句文)跋。

「宗祇戻し」 の伝説を書名とした。

 又延徳の頃宗祇ほうし行脚の砌しら河の鎮守鹿島宮におゐて近域の太守達万句興行ありしに宗祇野州の辺ニて聞つたへ面向れけるとそ鹿島の神仮に賤女と現し給ひ百会にほうれひと云へる綿を載き行過給ふを其のわた売かとそうき問れしとなむ女哥に

 あふくまのせにすむ鮎の腹にこそ

 うるかといへるわたはありけり

とよみけれは宗祇黙々として是より引かへされしとなり此所今にそうきもとしと云つたえて風流の名なれは此書の魂とはなしぬ

(宗祇戻 南)

   春之部

春もやゝ気色とゝのふ月とんめ
   芭蕉

日の春を流石に鶴の歩みかな
    其角

羽子板と今朝は見ゆらん源氏雲
   老鼠

鶉衣やまとりの尾のきそ始
   風光
  巽窓
鶏の息より霞むあした哉
   湖十

春に逢けりな若ひ時のけてをけ
   潭北


仙台ケセヌマ
尋たる玉のありかや貴妃桜
   蚓舌


 境郢月泉
紫のくも手や海苔の杜若
   阿誰
 々岷谷亭
春の日の下りかけむや藤の花
   浙江



   夏之部

しら川なる柴山と云冨屋にやとりて折ふし煮酒するを見て

青流洞
しら川の澄よきはこれ煮酒哉
    祇空
雪中庵
なと春を惜しと思ひけん更衣
   吏登
木者庵
駒方や舟に蚤飛ふ朝ほらけ
   老鼠



   白の夕顔庵師へ献す
津軽黒石竿雨改
一籔へ薫るや風の百々里
   山水仙
同山本氏白花斉
山高し道の上行杜鵑
   風潭

   餞 別

   風光宗匠の門に入て五月の苔筵を敷かへ道渺々
   として安きに至る其悦斜ならす一日二日と暮終二
   千里の雲をへたつるを惜みまいらせて

明近き月の名残や夏の鹿
   風潭

 秋の穂の出をまつも五月雨
   風光



  桑々畔
蜻蛉に声か有る也時鳥
   貞佐
 境郢月泉
栄花にも後夜を告るや涼舟
   阿誰
  
早乙女の泥には過た名也けり
   浙江

大仏の餅も世並やあやめ草
    麦阿



古人各自筆用翁之手跡ハ岩瀬郡須賀川 諏訪之社

有写之各像ハ辰之浦翁古図ヲ写旧化書

   うらみせて涼しき瀧の心哉   桃青

帆にかけて猶ひれふるやくものみね
    其角

関宿境阿誰所持写之

  暮 秋

赤かりし月も有明けいとうけ
   老鼠肝



  画 賛

   竹林の七のかしこき人たえす竹葉をくみかはする
   にめつらしきさかなもとめらるゝ力なし

かたつむり酒の肴にはゝせ鳬
    其角



  秋の部

   由之は翁の門人也 笈の小文 翁のワキしたる岩城
   長太郎也交る事久し
八十二翁
男七夕闇夜のひさこ撫つもの
   由之

名月や鉄輪の火ても恥を知れ
   貞佐



      自筆辞世

蜩や蝉の知らざる所まで
   老鼠

   白川城下横町大慈山専念寺

法名 木者庵勤誉老鼠肝土身大徳



きゝく白菊その外の名はなくもかな
    嵐雪



(宗祇戻 北)

   冬之部

予一とせ深川にて杉風子の隱室を尋けるに衰老の床に臥されたる迚(とて)筆談に及て今江戸中に愚老を訪者一人もなし貴子遠境にして訪るゝことの風雅を感る迚悦れ鳬則挨拶の二句
 八十四翁
初梅にさくらにかはり雪盛
    杉風

暮て行としとつれたつ我か身也
   々


  
驚かす我も夢也鉢たゝき
   阿誰
  
野は枯て独さめたり松一木
   浙江
 仙台城下
関の名や越ても薫る冬牡丹
   東鯉
水戸大田武弓氏
凩や吹広けたる僧ひとり
   亀文



とししてもおもしろのとしの急やそ
   老鼠

髭一筋皮をかふつて年くれぬ
   潭北

出来秋の心地そ年の椀屋こみ
   貞佐

   木者庵へまかり師に初てまみゆるの時

水仙やもとりを障る木綿物
   風光

 年待ための折残し梅
   湖十

渺々と鶴の小歩行斜にて
   永機

寛延四未秋宗祇戻行脚四季こんさつ勿論句工眼前を述る

  行脚
    白川の関 出立の吟
   風光

   はせを湖十両翁の踏れし細道をこゝろさして

鶴のあとまたもや鴈そ世話やかん

ひそた村東称寺後山間に 浅香沼 有今は田となりて跡かたもなし海道に蛇骨堂さよ姫の御影有山の内に蛇かふり石有棚木のさくらあり

名計や稲苅のこる浅香沼

むかしおもふ棚木の桜紅葉して

   安達原 黒塚 にて

黒塚はまた昼なから秋の風

伊達の 腰かけ松 一見九月廿九日なり藤田の里より半道計有るか松の高七八尺みきの太さ二抱計四方へゑだたるゝ事七間あまり凡名木也

秋もはや腰かけ松や日本一

次信忠信の墓は伊達の郡鯖野の里有 医王寺 両子の武勇如金剛喩草木迄モ赤キハ悪カラメト思ヒヤリテ

モミヂ(※「木」+「色」)する木々もや塚のにくからむ

武隈の松 見んとせしに俄にしくれしきりなれは行事やみぬ

武隈の松こそ見せね大しくれ

    実方の墓 にて

是非もなし木の葉に包む土饅頭

    躑躅岡  桜ひしと有

此岡につゝしの替り枯さくら

    壺のいしふみ

いしふみは無常を去ッて枯野哉

沖の石  江古平左衛門と云百姓の裏に有四方七八間の
池也中に石有景色西湖の山を見るに等

いらいらと凩吹や沖の石

    末の松山    寺の後山ヲ云

世そすへのまつ山かけて北時雨

    塩 竈

雄島へも鴛の通ひ路千賀の浦

    雄 島

人のおちまに住や落葉庵

松 島 松島の景は冨山に有り冨は松島より三里有冨
に登て松島を見るに絶景不残海上二三百里ヲ
一眼に見渡す也

松島よ冨山なくはのこるへし

    十府の菅   此辺志波彦の神社 有旧跡也

時雨なは十府の菅蓑ほしからめ

    とたへの橋

馬と人もとたへのはしの冬日陰

   気仙つなき峠通る迚

白雲をつなき峠の海寒し

   松野峠より長部の浜を見おろして絶景言葉なし

西湖とも申せ長部の冬気色

気仙沼 と云浜蚓舌を尋て気仙は鱈の名物にて冬至入て初鱈将軍へ献上のよし

気仙沼や五日をとへは後の鱈

冬山や松むら立て青嵐

山沢の氷見そめつ朝ほらけ

   仝泉の浜に泊あるし七郎兵衛と云十月廿なれは

七郎兵衛へけふはやどりを夷講

高田の浜あめの森に翁の碑有

余所からもおかむ枯野の碑の光

   気仙盛の浜にて

釣せすも海鼠の入江暮惜しそ

   衣 川

氷る身の我にも着せよ衣川

    高 館

高館そ朽てくちせぬおしへ艸

   衣関中尊寺 光堂  大雪中ヲ登ル

降こめる雪の晴間や光堂

   宝物品々開帳して愛宕堂に 弁慶の御影

御影さへ六尺弍分ン枯木立

    南 部  城下に春を迎て歳旦としのくれ二句

鐘聞て誠の春になりにけり

我は旅にあそひて年を忘ぬる也

錦木塚 南部鹿角郡蜀漆村いにしへは此里にて錦木を
立タルよし里ヨリ十四五丁隔テ錦木塚有

猫の恋錦木もなし夕間暮

岩鷲山 みちのくの岩てのこほりきて見れはおくのふ
しとはこれをいはゝし 西行

雪解すな喩寒くと奥の不二

   野田の玉川 野田の内也

玉川をうしろに当つ百千鳥

千引石 七戸と野辺地の間爰にかの石有と云伝計ニて
石は見えす明神立給ふ野中也

藤の花這ふて動かせ千引石

南部材木の浜と云所にて松前渡海の舟を借回国の六部三人と同船する迚日和待て船頭吉左衛門と云者の家に五六日逗留六部モ一所に有り四月四日松前へ渡る逗留衣かへ也

四五日は笈に馴染ん衣かへ

材木よりまつ前筥館の湊まて海上十六七里の余もあらんかタツヒの汐白上の汐中の汐とて津軽三馬屋の渡七里の内右三ケ所の大難所有其尻なれば其汐の早き事魂も消る計筥館の湊へ入らんとせしに汐に流されて蝦夷地の境へ漸上此間三四里計流

     松前箱館の湊

曹洞宗 高竜寺 へ誹士にともなはれて二十吟計集居て発句所望有

見る所一円相に茂哉

腰 長

則こしたけと云処象潟の内に百鶴脚ぬれて海すゝしと翁の吟有折節漁の網うつを見て

網打や腰長濡て秋寒し

こしたけや鴻も野分の数に入り

汐 越

しほこしの古詠あまたあれと西行上人の蜑の釣船に秀るはなし

汐越は西行殿をたねふくへ

   西行桜 甘満寺の裏江をのそきて有

鳥海とさくらも底のモミヂ(※「木」+「色」)

象 潟

まつ島は笑ふかことくきさかたは美人の眠るかことしと開山我か翁の文骨なりきけふしも中田氏の催しによつて今此江にのそみ舟をうかへて黙然とし東西南北を見るにいつれか風光のさはかしき所もなく只閑なる事感するに□(※「糸」+「甚」)たり

象潟やいよいよの秋の柳にて

    袖の浦

振向けは秋風からし袖の浦

    あつみの温泉 に行迄

湯あつみの伯母もそろそろ散るすゝき

椎茸や取落されてあつみ山

    最上川

取はつす蕪菜も見たり最上川

    尾花沢  春(ママ)風かゆかり尋んと行に今はあとかたなし

紅の花俤踏ん散る紅葉

幾度歟行脚を泣す時雨哉

    文字磨石

もしすりやさつと一刷毛しくれ哉

   十月下旬白川へ帰る

酉の卯月はしめ常州水戸白布山 玉簾寺 に滝を見て

卯の花の瀧にも見慕恋やすむ哉

常陸をしまひ結城 鴈宕 にしはしはあそひ境阿誰舎に逗留久し野州へ移りて川筋のこらす烏山黒羽上州に面向とせしに魂祭近けれはと本国に戻りて盆のいとなみ抔(など)し侍る内黒羽の士奥野氏満仙子再回を待るゝとの文通両三度成れは十八日黒羽に至る則奥野氏に三宿して饗応痛入計爰に翁もしはらく沓をぬかれし地なれは翁の 野を横に と有るを思ひ出て

再廻の那須野を横に鶉聞く

十月七日東武着其夜蒼狐宗匠へまねかれ五吟五十韵満尾其句則蒼狐 ワキより大略

淡路ともこゝに鵆の聞ゆ哉

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