このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


はつさくらおりしもけふはよき日なり

上里町忍保に池上神社がある。


池上神社

 池上神社は、和銅年間(708〜715)の創立で、 延喜式内社 武蔵国44座の1つで、延喜式内神名帳には、今城青坂稲実(いまきあおさかいなみ)池上神社と記されている。

 忍保庄の神社と伝えられ、祭神は伊吹戸主神と豊受姫命で、古くは善台寺において別当を兼務し神事を司っていた。

 正慶年中(1332−1334)には 新田義貞 、大永年中(1521−1528)には斉藤盛光の崇敬が篤く、神殿の修復が行われたと言われている。

 また、天正10年(1582年)、織田信長の家臣である厩橋(群馬県前橋市)城主の滝川一益と小田原城主北条氏直との 神流川合戦 の際に社殿を焼失し、その後、川窪信俊により再建されたと伝えられ、現在の社殿は明治12年に改築されたものである。

 なお、当神社には明治初期に始まった、「忍保の神楽」と呼ばれる神楽の一座がある。

   昭和61年3月

埼 玉 県
上 里 町

神楽殿


神楽殿の右に芭蕉の句碑があった。


正風流花塚

はつさくらおりしもけふはよき日なり

出典は 『蕉翁全伝』 (土芳)。

 貞亨5年(1688年)春、『笈の小文』の旅の途中、伊賀上野の薬師寺月次初会で詠まれた句。

 安政3年(1856年)2月、法松斎東一僖建立。翠松斎東一陽書。

 法松斎東一僖は忍保の竹内半蔵。文化10年(1813年)1月12日生まれ。挿花、茶道等を江戸の翠松斎東一陽に師事し、天保14年(1844年)に法松斎東一僖という斎号を授けられた。明治15年(1882年)7月12日、69歳で没。

  『諸国翁墳記』 に「正風流花塚 翠松斎法橋一陽社中 武州加美郡忍保村 法松斎一□稲荷社地建之」とある。

社殿


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