このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


来与に穂麦喰ん草枕

 春日井市中町の県道102号名古屋犬山線(名犬街道)沿いに正念寺という寺がある。


正念寺の街道沿いに芭蕉の句碑があった。


来与(いざとも)に穂麦喰ん草枕

出典は 『野ざらし紀行』

城北槐孔庵后倍舎連中建立。

 この句碑は、芭蕉が貞享2年(1685年)に詠んだ『野ざらし紀行』の中に見える。芭蕉が行脚の途次、この地正念寺(中町)近くの農家に一宿した折の吟であると伝えられる。

 時は、旧暦の4月、何分田舎のこととて、差し上げるものもなく、婆やが思いつくままに、新麦の穂をとってきて「青ざし」をこしらえ差しだしたところ、芭蕉は喜んで、この句を詠んだという。この地方には、昔から麦の端境期になると、空腹のしのぎに大麦を青刈りして、穂を石臼でひき、餅のようにして食べる風習があった。

 すぐ東の坂を穂麦坂、またの名をへそ坂ともいう。南の味鋺原、北の小牧原、東の下原に対し、ここは原(腹)の中央、すなわちへそにあたるというのであろう。これも芭蕉の即興と伝えられている。

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