このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
芭蕉の句碑
雲折々人をやすむる月見かな
大仙市神宮寺字神宮寺の県道30号神岡南外東由利線沿いに大仙市立神岡小学校がある。
神岡小学校の東に神宮密寺跡がある。
神宮密寺跡に芭蕉の句碑があった。
雲折々人をやすむる月見かな
出典は
『春の日』
(荷兮編)。
貞享2年(1685年)に詠まれた句。
明治23年(1890年)7月、建立。
神宮寺では江戸時代中期から地主や富裕商人たちのあいだで連句や発句などをたしなむ人々がいた。この碑は元の神宮寺役屋蔵方の小西總太の妻女ツネが明治23年に建てたものである。句碑は芭蕉翁の「雲折々人をやすむる月見かな」が刻まれており、師の会田素山の筆によるものである。
会田素山は久保田藩藩士。
明治25年(1892年)8月22日、74歳で死去。
JR奥羽本線神宮寺駅
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