このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

芭蕉の句碑


荒海や佐渡によこたふ天河

佐渡市小木町に海運資料館離島センターがある。


海運資料館離島センターの前に芭蕉の句碑があった。


荒海や佐渡によこたふ天河

出典は『奥の細道』。

平成3年(1991年)4月20日、浅ヶ谷長太郎がそば処「長寿庵」に建立。

山口誓子 揮毫。数馬あさじ撰文。

この句は芭蕉が奥の細道の途次、 出雲崎 から遙かなる佐渡が島に想いをはせて詠んだ俳句である。芭蕉没後三百年忌をひかえて出雲崎を真向いに望むこの地に芭蕉を偲んで句碑を建てた。

  山口誓子 は本名新比古(ちかひこ)水原秋桜子 、阿波野青畝、高野素十と共に高浜虚子門下の「四S」と呼ばれた。昭和23年、『天狼』を創刊。

平成6年(1994年)3月26日、92歳で歿。

蓮華峰寺 に句碑がある。

数馬あさじは元小木町俳句協会会長。

平成6年(1994年)、「長寿庵」閉店。

平成7年(1995年)、現在地に移転。

 嘉永5年(1852年)2月27日、吉田松陰は午前9時に 出雲崎 を船出、10時過ぎに佐渡の小木港に着く。

二十七日、晴。辰時、船を發す。風順に帆に飽(あふ)る。未後、佐州羽茂郡小木港に到る。


 明治40年(1907年)11月23日、河東碧梧桐は小木港から寺泊へ。

十一月二十三日。曇。時々雨。

船は朝六時に出る。やはり九十噸ばかりの汽船である。雲模様が面白くないのと、小木湾の浪も向い風に煽られておるので、きょうも時化じゃと覚悟して乗ったなり毛布を被って寝た。柿風と流石とが赤泊りまで見送って来たのに別れて後も寝た。


芭蕉の句碑 に戻る


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください